火星の月の下で

日記がわり。

何故猫は歳を取るほど可愛いのか

たいていの哺乳類は生まれた時は可愛い。
猫もその例外ではなく、というか、子猫の可愛いらしさは強烈で、たいていの人をメロメロにする。
猫を飼っている人だと、ここから信じられないことを経験することになる。
普通成長するとその動物の特徴が色濃く出てくるので、可愛いといった感情とは別の感情をもたらしてくれるのだが、猫の場合、いっそう可愛いくなってくるのだ。
それはヴィジュアルだけでは理解しづらくて、飼ったことがなければ「ただの猫じゃん」と思える個体がとんでもなく可愛いくなってくる。
たぶんそれは「ともに人生を生きている」から。
猫の知能は都市生活者にとって絶妙なところがあり、猿ほどは賢くなく(狡猾ではない)、犬ほど社会性もない。
かといってマウスやウサギほどバカではなく、しつけてやれば犬ほどではないけどかなり細かなことまでちゃんと覚える。
従って飼い主の知能にあわせて、賢く、あるいはバカになるのだ。
一緒に生きていて、こちらの気持ちが通じているかのような錯覚に陥ることがしばしばある。
あとから考えてみると猫がそういう行動を取っているのはしかるべき理由があることが大半なのだが、そのときは自分の心理なり行動なりを理解してくれているかの様な気持ちになることが頻繁にある。
つまり「アホなケモノ」とバカにすることができないギリギリの線で、同時に過大な要求もない。
人間が生活している時間を、その空気を共有している、そういう感覚がいたるところに出てくる。
それが歳をとるに従って強くなってくるのだから、可愛いのもあたりまえで、子猫のときの原初的なそれとはかなり異質の、深くて繊細な可愛いらしさになる。
以前、特亜のどっかのバイオ企業がイギリスかどこかで、死んだ猫のクローンを作ります、みたいなドアホなプロジェクトをしてたことがあったけど、飼い主にとってはその遺伝子よりも、一緒に生活したという時間の共有こそが大事なのだ。
雨の夜、寒がってふとんの中に入ってくるおん歳14歳の老猫ののどをなでてやりながら。