火星の月の下で

日記がわり。

○偽史偽書の日本史

「シンポジウム「近代日本の偽史言説 その生成・機能・受容」まとめ」(897515)
togetter経由なので、いつものように逆リンクよけのため直リンはしない。(番号参照)
昨日、立教大学で「公開シンポジウム「近代日本の偽史言説 その生成・機能・受容」」なる面白いシンポジウムがあったもよう。
古史古伝、同祖論、なんてのは偽史偽書だと言うことがちゃんとわかった上で読むとすこぶる面白いので、ひと頃けっこう読みふけっていた時期があった。
最近、新約に凝っていろいろ読んでいるのもこの感覚に近いのかもしれない・・・まぁ、新約を偽史偽書にするのはかなり乱暴だし、史的事実もある程度含まれているので同列ではないんだけど。
行ってないのでどういう書籍がメインになったのかはわからないけど、ワタクシの読書体験のうちで一番インパクトがあったのは古田史学。
この間お亡くなりになられたが、最初の古代史もの『邪馬台国はなかった』が出版されたときのセンセーショナルは今でも覚えている。
一連の九州王朝説ものは偽史偽書と行ってしまうのは少し気の毒だが、晩年、東日流外三郡誌に入れ込んでしまってたりしてたので、非常に広義ではあるけど、キリギリ入れても間違いとも言い切れないかな、という気はしている。
九州王朝説が人々を魅了したのは、邪馬壹國なる古代国家が博多湾岸にあった、という氏の結論よりも、そこに至る道程での、1年二倍換算方とか、磐井の乱を九州王朝の末裔と見たりとか、神武実在論とか、そっちの方の物語的な面白さにあったからではないか、と思う。
その意味では、鯨統一郎氏の『邪馬台国はどこですか』に近い面白さで、鯨氏が純然たる創作としてやったことを古田氏は研究としてやった、くらいの違いかな、かなり乱暴な分類だけど。
私個人は、古代磁気のズレ問題があるので、どうにも九州説には首肯しがたいのだけど、読み物としてはあまたある「邪馬台国もの」としては出色の面白さだった。
古史古伝の方はどうだったのか、神代文字についてはどうだったのか、公開シンポなので研究の最先端までは行かず、一般への啓蒙がメインだったのかも知れないけど、それなりに興味を引かれるものでありますな、行けなかったのがすこぶる残念。
椿井文書がすこぶる面白かったようだが・・・。