火星の月の下で

日記がわり。

○ひのえうま

少子化の表などを見ていていつも気付くのが、1966年、昭和41年の人口の急激な減り。
言わずと知れた「ひのえうま(丙午)」の年で、十干十二支でこれに当たる年に生まれた女子が、気が荒く毒婦となる、という迷信があったためで、この年の出産を避けたためだった。
年次の出生数でこの年だけ異様に落ち込んでいるのをみても、その迷信が当時まだ力を持っていたことがわかる。
いや、多くの人にも迷信だ、という意識はあったろうと思う。
だが、大事な我が子が生まれてくるのに、たとえ迷信とわかてはいても、そのような不吉な年を生年にはしてやりたくない、という意識というか感覚の方が強かったのだろう。
むろんそういったことも含めて迷信、と言ってしまえばそれまでなのだが。
丙午とは、十干の「丙」と十二支の「午」からなり、「丙」とは五行思想に言う「火の兄(え)」のこと。
木火土金水(ぼっかどごんすい)のそれぞれに兄(え)と弟(と)をあてて割り振ったもので、火にあたる「丙」「丁」はそれぞれ「火の兄」「火の弟」である。
また「午」は陽性の「火」をあらわすため、どちらもともに「火」の属性となる。
もっとも「火」と言っても燃えさかる炎と言うよりも、萌え出づる陽気、命の発芽、といったニュアンスの方が強いのだが、火が重なり合うことで炎の激しさへの連想もあったのだろう。
加えて「午」は馬に通じ、悍馬への連想を伴う。
通説としては『八百屋お七』の生年がこの丙午であったから、とされているのだが・・・。
干支は60年をもって一回りするので、次の丙午は2026年。
少子化が社会問題として定着して久しい今、10年後にやってくる丙午ではどういう影響を残すのか、そのときまで生きて、見てみたいものである。