火星の月の下で

日記がわり。

フルトヴェングラーのモーツァルト第40番ト短調K550

昔、SPからLPに切り替わった頃、トスカニーニワルターメンゲルベルクなんかとともに大量に市場に出て来たフルトヴェングラー指揮の交響曲
ベートーヴェンブラームスはさすがに評判が良く、評論家だけでなく一般人にもかなりの人気で、それはカラヤンベームの旋風が巻き起こる70年代くらいまで続いたものだった。
だがモーツァルトに関しては賛否両論あって、当時の日本人はブルーノ・ワルターの方を好んでいたような感覚だった。
中でも意見が割れたのが、フルトヴェングラー指揮の、BPO、WPOによるモーツァルトのK550。
当時、この疾走する演奏が評論家筋には評判が悪くて、情緒たっぷりに歌い上げるワルター+コロンビア響odNYPと対象的だった記憶。
しかし今では古いレコード出して来なくても普通につべとかで聞けるので今日なにげなく聞いていると「なんでこの速度で当時の評論家が受け付けなかったのか」という感覚になってしまう。
むしろ内在するデモーニッシュさを表現するにはこの方が良いんじゃないか、という気もしたのだった。
もちろん、ワルターに代表される抒情派の演奏もそれはそれで良いんだけどさ。