火星の月の下で

日記がわり。

○恋愛モノにおける、催眠術等の強制手法

催眠術以外でも、未来社会とか少子化の行き着く果てのシステムとか、ともかくなんらかの形で本人の意思とは無関係に、ある種の強制力によってカップル、ペアが用意される、という展開に、ちょっとイヤな感じが最近している。
多くは女子側になんらかの強制手段が働いて主人公たる男子と思いがけないカップルにされてしまう、ということだが、もちろん主人公が女子の場合ならなんらかの形で男子が、という例もある。
ただ男子に強制力が働く場合というのは、女子に働くよりも比較的温和な手段になることが多いように思う。
個別作品を挙げるとキ印が来るので上げないが。
これ、なにがいやかっていうと、フェミニズム云々ってことではもちろんない。(男女逆の場合もあるのだから)
いやな理由は、恋を成就するため、あるいは発展させるために、作家が気持ちの変化やアプローチのあり方から逃げてしまっていると感じることが多いからだ。
要するに恋の状況を描けても、そこに至る心の変化を描けない、もしくは省略してしまっている、ということに対する「イヤな感じ」なのだ。
少なくとも恋愛を俎上に上げるのなら、主人公がなぜその異性にひかれるのか、という状況もさることながら、その異性がどうやって主人公にひかれていくのか、もしくは関係性を見せるのか、という経緯が描けてないと話にならないだろう。
もちろん、その経緯ではなく結果の方が大事なジャンル、たとえばアダルトものとか、疑似アダルトと行ってもいいH系ラブコメみたいなものだとそれは看過できるしさほど気にもならない。
そういったジャンルは成就してからのことが重要で、それ以前のことは極端に言えばどうでもいいのだから。
恋愛モノを描くのであれば、自分と同性側(多くが主人公、主体)の心理だけでなく、対象者、オブジェ、客体、異性の相手の側の心理をしっかりと描けなければいけないのではなかろうか。
好きになってしまったあと、というのは、比較的(あくまで比較的、ね)うまく描けるかも知れない。
しかし、全然その気がなかった相手が主体側に引かれ出す、というのは、やはり描写技術が問われるところで、その作り手の人生観や心理洞察の深さなんかも出てくるところ。それを「お手軽手段」で簡単にすませてほしくないわけだ。
その意味では、強制力とはまた少しニュアンスが違うけど「一目惚れ」というのもお手軽手段の一つになってしまうことがある。
特に、たいして美点のない、もしくは少ない主体、平凡な存在である読者の投影対象に、美点のかたまりのような相手が一目惚れする、という時は、よほどうまくまとめるか整合性が明確にないと、興ざめたるやおびただしい。
どこにでもいる平凡な女子に、イケメン、文武両道、実家が金持ち(もしくは高貴な出自)の男子が理由もなくいきなり一目惚れ。
少しスケベなだけのいたって凡庸な男子に、超絶美形巨乳、あるいはご令嬢(格上なのになぜか「ですます」調でしゃべる)が一目惚れ、とかいったタイプだ。
恋愛に限ったことではないけど、人が他人との関係性においてある種の変化が訪れるのなら、その経緯をお手軽手段に頼らずしっかり描いてほしいな、と思ったりするのでありました。