火星の月の下で

日記がわり。

ラノベ本

ちょっと遅きにすぎる感があるけれど、ラノベ関連の書籍が昨年夏くらいから数多く出ている点について。
そのなかではラノベの歴史も語られることがあるけれど、広義には大衆文化に属するであろうラノベの歴史から説き起こす、というのはかなり無理があって、所詮は論者の主観なり経験なりを超えるものではないだろう。従って、そのジャンルを意識した人の分だけ、黎明があり、歴史があると思う。
私に関して言うと、「超革中(超革命的中学生集団)」はリアルタイムで読んではいたけど、あまり黎明という感じはしなくて、ジャンルとしてのそれを意識したのは「連帯惑星ピザンの謎」つまりクラッシャージョー・シリーズからで、それとても、その頃ライトノベル、なんて単語があったのかどうか、記憶がさだかではない。超革中とクラジョウの間に何か違いがあったのか、というとそれもはっきりしなくて、ただ超革中はまだSFの一部分として読んではいたけど(これをSFというのもやや躊躇するところではあるが、当時はジュブナイルSFという呼び名もあり、これならその範疇に入る感じだったのである*1)クラジョウとなると、これはもうお話も読んではいたが、どちらかというと安彦良和氏のイラストにひかれて、どちらかというとついでのような感覚で読んでいたわけだ。ここに差があるような気がする。
で、だいたいこの時期のピークが「聖エルザ」で、このあとイラストめあてにパラパラと手にとることはあっても、それほどのめりこむことはなかった。
二度目に「集中的に」読みだしたのは、怪しい隣人氏に教えられて読みだした「マリみて」、ちょうど聖ウァレンティーヌスの前後の頃で、これを契機にしてまた読み始めた。
最近の停滞ぶりからは別物のように面白くて、当初はこればかりに目がいっていたが、ある程度熱がさめてくると、ラノベというジャンル、あるいはその周辺にある宝石群に気がついた、というわけである。
百合もの、というジャンルは、最初のブームのときにクララ白書等も読んではいたので、知らないわけではかったが、実にみごとな進化をとげていたわけで、こんなにもいろいろなヴァリアントを生んでいたのか、と、離れていた10年間、その失われた10年間を悔やんだものであった。
「カラミティナイト」を知ったのもこの流れで(これをラノベに分類してしまうのは、反論があるかもしれないけど)恐らくラノベのブームを意識してなかったらここにたどりつくにはもう少し時間がかかっていたかもしれない。いまのところ、私の中ではラノベの最高傑作である、っていっても、偉そうに言えるほど数はまだ読んでいないんだけどね。(^_^;
今は「いぬかみっ」「どくろちゃん」「灼眼のシャナ」「涼宮ハルヒ」といったどっちかっていうと百合ものは関係ない方に流れていってしまってるけど、カラミティナイトや、「メデューシン」「カレイドスコーブ」などを読んでいた時期はすこぶる精神的に充実していたと思う。
しかし、このブームも今が旬なのだろうか。
解説本や歴史が語られだすと、そのブームは終わり、というのはよく聞く話である。文庫ごとの展開や、出版社ごとの色分け等、細分化と均質化、といったことはあるにせよ、総括によるブームの終焉の予兆のような気分は感じてしまうのだ。
それほど数を読んでない人間が言うことなので、かなりはずしているかもしれないし、自分の中に「飽き」が来ているのかもしれないが、たとえば今新たに読むのが楽しい、っていうのは、榛名しおりの「アレクサンドロス伝奇」シリーズであったり、夏緑の「葉緑宇宙艦」シリーズだったりと、もう終わってしまったシリーズだったりするのを考えると、少なくとも自分の中では、新刊に対するブームというか熱みたいなものはちょっと薄れてきてるかな、って感じなのだ。
これはもっと数を読んでいけば解決してくるのだろうか。まぁ、ただ、読むことに苦痛や「読まなきゃいけない」みたいな感覚はまだないので、時間の許す限り、いろいろとあたっていきたいとは思っているところ。

*1:ジュブナイル、というくくりは、つまり眉村卓氏の一連の学園ものに代表されるアレである。