火星の月の下で

日記がわり。

▽地デジの日・・・新聞購読をやめる日

最近は堂々と言えなくなっててしまっている毎日新聞購読者である。
正月早々、2○ゃんその他でけっこうな騒ぎになった、ネット社会取材版による「ネット社会糾弾記事」。
コミケから帰って、まだネットにつないでない朦朧とした頭で元旦の新聞を見て、目が飛び出すほどに驚いて、いっぺんに疲れがふきとんでしまった。
「こりゃ騒ぎになるだろうなぁ」と思ってその時には書かなかったけど、案の定、某大型掲示板では蜂の巣をつついた騒ぎになっていた。
そんなわけで、ネットにつなぐ前、元旦の新聞1面で知ったのが最初なんだが、ネットでの指摘を待つまでもなく、おかしなところがテンコ盛りで、「あ〜ぁ、毎日、ホントに終っちまったなぁ」というのが実感だった。
難病女児寄付騒動とか、炎上事件とか、それ以前に知ってることばっかりだったということもあったけど、論点をすり変えたり、事実を隠蔽したりしていることがいたるところにあって、普通に普段からネットでニュース等を読んでる人間には違和感バリバリの内容だった。
まぁ、個々については既にいろんなところで検証もされ、いかにダメな企画だったかはほぼ結論が出ているようなのでここでは繰り返さないが、昭和40年頃から毎日を購読してきた、その長年の愛着もほとほとさめる内容だった。
今では、朝日、道新、東京に次ぐ反日売国新聞みたいになってしまった感があるが、昭和の頃まではそんなことはなかったのだ。むしろ、一番中道に近いところにいる感覚だった。
それが平成に変わった頃から、左寄りの論調が少しずつ強くなってきて、去年の佐賀支局での事件を受けて、購読に対してかなり疑問を感じるようになってきた。そして元旦の記事。
実は毎日に限らず、ネットでニュースを自由に読めるようになってきた90年代半ば頃から、新聞の情報量の少なさに、やや不満を感じていたのである。つまり読みたい記事、知りたい情報を掲載してくれない、ということた。
最近で言うと、支那の軍隊によるチベットの無抵抗巡礼虐殺事件、同じく支那による東トルキスタンのテロルの名を悪用した惨殺等。
月4000円近い金を払って正当な情報を摂取できないんじゃ、もう続けてる意味ないかなぁ、というのはぼんやりと、しかし確実に年々ふくらんでいった。
世間における新聞の購読目的がテレビ欄とスポーツ欄、というのはかなり昔から言われてたけど、田舎にひっこんでしまうと、はさまれている特売チラシというのもバカにはならない、というここ数年の消極的な購読継続理由だったのだが、元旦の記事はさらに冷水をぶっかけるものだった。
以前、murmurさんが「新聞の購読者減は団塊世代が鬼籍に入る頃、雪崩をうって始まる」みたいなことを朝日の偏向報道記事に関連して書いておられたが、確かに都市部では十分ありえそうなことだと思う。田舎だとこのチラシの問題があるので、もう少し続くかも知れないが・・・。
都市部で購読者が新聞をやめてしまいそうなきっかけとして、もう一つ漠然と想像しているのが地上波デジタルへの完全以降である。
まぁ、この地デジへの移行はスムーズに行きそうにない、っていう予想とか分析もいたるところで見るので、はたして予定通り行くのか疑問だけど、一応予定通りいくと仮定して、テレビ欄、っていうのが必要なくなってきそうなんだよなぁ。
今でも普通にPCのモニターでTVを見てたり、デジタル機器なんぞで録画録音をしてれば、別に新聞のテレビ欄のお世話にならなくても、普通に本日の番組を呼び出せる。
いまはまだ全体の画面とか、使いにくさはあるが、地デジに移行すれば、いまの新聞のテレビ欄程度にはなっていると思うし、機械に弱い高齢者にも扱いやすいものになっていると思う。今だって、変な先入観さえなければ、かなりデジタル番組表は改良されている方だと思う。まぁ、年寄りはその先入観っていうのがあるから、なかなかうまく扱えないんだけどね。自戒もこめて。(^_^;
スポーツ欄に関しても、地域差、会社の違いによって多少違うだろうけど、今以上に情報は早く多岐にわたって取り出せるようになるのではないか、と思う。
つまり、新聞を定期購読し続ける積極的理由としては、もう特売チラシしかないわけである。
あとはやめる時の気まずさかなぁ。集金に来てくれるおばちゃんが人の好い気さくなおばちゃんなんで、どうも切り出しにくい。
もうほとんどその一点である。
しかし、購読者が激減すると、新聞の営業は広告主寄りになってくるから・・・けっこうな変動にはなるのかな。
戦前戦後の朝日の変わり身を思うと、そうなったらそうなったで、何か違う生き残り策を講じてきそうな気もするが・・・。