火星の月の下で

日記がわり。

生きる意思

さて、3週間の入院を経て、いろいろ思うこともあったので、簡単に一つだけ書いておく。
首から上とはいえ、骨折による入院だったため、手術が終ってからの3週は退屈の一語で、もっぱら本ばっかり読んでた、っていうのは、アニメブログの方でちょこっと書いたけど、大部屋で、しかも混合病棟ということもあってか、他の入院患者を見ていていろいろ思うこともあった。
口腔外科による入院患者ってのがそもそも絶対数としてはそれほど多いわけでもないので、東京や大阪と言った大都市だとたぶんそれでも1病棟あったかもしれないけれど、地方都市としてはそこまではいかないため、混合病棟。・・・っていうか、私が他の病棟に間借りさせてもらっていた、っていうのが実際かな。(^_^;
で、その病棟は、こっちが首から下がまったくの健康体で、退屈だ、なんて言ってるのが申し訳ないくらいの重病患者さんのいる病棟でした。
あんまり具体的に書いてしまうと、この程度でも特定できるかもしれないので、病名その他は極力ぼかしますが、けっこう致死率の高そうな病名も、普通に耳にとびこんできました。
当然のことながら老齢の方が多くて、60代以下なんてのはほとんど数えるくらいしかおらず、女性に関しては大半が老齢(に見えた)の方々。
もっとも、他の病室、ましてや女性の病室なんかを覗いたわけではないので、あくまで廊下ですれ違ったり、レストルームなんかで見ていた限りである。こっちは足がなまったらいかん、ということでいろいろ歩き回っていたこともあって、決して覗いたりプライバシーを侵害したりしていたわけではない、っていうのをちょっと強調しておく。(^_^;
で、いろいろな人を見てきたわけだけど、思ったのは、老齢になると「生きる意思」って大事だなぁ、ということだ。もっと言うなら「生への執着」と言ってもいい。
若い頃、っていうのは、生きるってことそのものが、自分の意識下でどうとでもなるようなところがあるので、「老醜をさらしてまで行きたくねーや」とか「寝たきりになったり、周りに迷惑かけてまで生き延びたくねーや」なんて思う人もいるだろうけど、それは「死」というものが面前にまだ来ていないからいえる、っていう側面を強く感じる。
実際、老境に入ると、「生きる」っていうことが自分の意志や哲学だけではいかんともしがたくなってくるのだ。
よく耳にすることだけど、若い頃、っていうのはそれほど「死」が恐くないけど、年をとると「死」が恐くなる、っていうのもこれに近いだろう。ましてや、健康ではない状態での話である。
隣室にAという人がいて、レストルームでよく顔をあわせた。正確な年は知らないが、80は越えていただろうと思う。
この人が話好きで、けっこうよく話かけられた。「本が好きなんですね」「なまりが違うようですが、よその土地のご出身ですか?」「プロ野球はどこが好きですか?」「ヘー、将棋がお好きなんですか、私も若い頃は木村名人の棋譜を並べたりしましたよ」「今年はスギ花粉が濃いようですな」等々。
最初は明るいじーさんだな、くらいに思ってたのが、深夜になると、ときどき痛みでうなされてナースコールをする、あるいは担当医師との会話が聞こえてしまい、とてつもなく致死率の高そうな病気だったりする、実は私や他の患者さんと話しているときでも、そこそこの痛みがあったらしいこと、こんなことがぼんやりとわかってきた。
たぶんレストルームに来たり、話をすることで痛みを紛らわそうとしていたのかもしれない。
そしてそれ以上に、世間にたいする未練、もう一度元気になるんだ、っていう意思みたいなものが、話の背景にチラチラ感じられた。
年の割には、と言っては失礼だが、すごく頭もクリアーでよく回る。さぞかし若い頃は切れた人ではなかったかと思う。
昔話もときどきはしていたが、今現在の話も多かった。新聞をよく読んでいたし、好きな食べ物の話もあった。
話自体はとりとめのない世間話が多かったけれど、はっきりと「生きていたい」と言っていたわけでもないけれど、生きるんだ、という意思は痛いほど感じた。
退院の日に「よかったですなぁ、もう来ちゃダメですよ」といわれて、ちょっと胸が熱くなってしまった。
同室にBさんという60代半ばの人がいた。
この人は私の入院直後に入ってきた人で、病名まではわからなかったけど、かなりの重病っぽくて、入ってきた直後は話もできず、食事もとれず、カラダを起こすこともできなかった。
それが、少しずつしゃべれるようになり、食べられるようになり、最後の方は自力でトイレに行けるようになっていた。
これも退院の日に聞かされたことだったけど、このBさんも、私が退院して1週後、つまり来週末くらいに退院できることが決まったらしい。
BさんはAさんと違って、家族以外にも見舞い客が多かった。そこでの会話が漏れ聞こえてくるので、聞くとはなしに聞いてしまったのだが、とにかく医師の言うことに一生懸命従おう、という姿勢が、周りの者を感心させているようだった。
Bさん自身はしゃべれるようになってもそれほど口数の多い人ではなく、声も小さく物静かな印象だったが、「どんなに辛いことでも、健康になるためだったら、しっかり我慢もするし、努力もするさ」みたいなことを自分に言い聞かせるようにポツリ、と言っていたこともあった。
「元気になって○○屋のうどんを早く食べたいなぁ」と言っていたのが印象的だった。
医者のいう事を聞くのはあたり前だ、と思うかもしれない。しかしある程度の年齢になって、何度も採血され、カラダにいろいろなものをつっこまれ、希望の少ない未来に直面し、苦痛と不安に耐え、っていうのは、かなり辛いことだと思う。
当然、このAさんやBさんと逆のことをしている人も見られたわけで、まぁそっちについてはあんまり書くのがはばかられるんだけど、ともかく「生きたい」っていう意思の大切さはいろいろと実感した次第。