火星の月の下で

日記がわり。

■エラーの記録

元NHKアナウンサーの志村正順が昨年12月に亡くなられていたらしい
志村アナと言っても、もちろん現役時代はまったく知らないが、小西得郎氏との野球中継名コンビは夙に有名で、例のこれまた有名な「巨人・藤尾の股間死球事件」の時の放送等、数多くのエピソードが知られているが、それについて少しばかり思い出したことを記録しておく。
志村アナとのコンビでよく知られる名解説者・小西得郎氏は、セントラルリーグ初代チャムピオン松竹ロビンスの監督としても高名であるが、もっぱら世人の印象としては、昭和30年代の名解説者、としての方がよく知られているだろう。
昭和30年代の野球マンガにもこの人はときどき登場していて、そのひとつにちばてつやの名作『ちかいの魔球』がある。
『ちかいの魔球』は時代として、昭和35年くらいから38年くらいを舞台にしていたと思うが*1、実際のプロ野球は、激動の時代で、昭和35年(1960年)がセントラル・大洋優勝。
三原マジックが炸裂し、前年まで6年連続最下位だった大洋が、開幕から6連敗したにも関わらず、三原傭兵の魔術のような起用、采配で優勝。
パシフィック・大毎優勝。
若き西本幸雄監督に率いられた大毎ミサイル打線が爆発、山内、榎本、葛城、田宮、谷本といった、それだけで他球団なら4番を打てそうな強力打者による爆発的優勝。
昭和36年(1961年)が、セントラル・読売優勝。
MVPが2冠王・長嶋で、長嶋人気が頂点に達していた頃。同時に、史上初の三冠王の期待が長嶋に寄せられていた頃でもある。*2
パシフィック・南海。不滅の大投手杉浦が、右腕血行障害で右腕を手術(それでもこの年、20勝を挙げている)、それに代わってエースとなったスタンカ、そして野村、寺田、穴吹、杉山らの400フィート打線による優勝。
だがこの昭和36年には、優勝した両チーム以上に、2人の投手が今日まで破られていない大記録を達成。
まずパシフィックでは西鉄の6年目の大投手稲尾がシーズン42勝というとんでもない記録を達成。
対してセントラルでは中日の権藤が、新人でいきなり35勝という、これまたひっくり返るような新人記録の数字を残している。
翌昭和37年(1962年)がセントラル・阪神
セントラルどん底の貧打線にも関わらず、屈指の投手陣がしっかりとローテーションを遵守しての優勝。
村山25勝、小山27勝。それ以外にも、2年後にエースとなるバッキー、第3投手石川緑、若生等の優れた投手陣と、日本に投手ローテーションの概念を持ち込み確立した藤本監督の手腕により優勝。
パシフィック・東映
読売の第2次黄金時代を築いたダンディ水原がパシフィックに移って指揮を執り、天才打者・張本を軸に、エース土橋、攻守の要・種茂らを傭しての優勝。
・・・とまあ、だいたいこういう時代であった。
昭和36年日本シリーズが、読売対南海で、このマンガにも、腕を手術したばかりの杉浦が、闘志を見せてベンチ入りして、というシーンが出てくる。
主人公・二宮光もこの直前に自動車事故で肩を壊してしまい、日本シリーズに出られるか否か、という場面が出てくる。
かなり、南海・杉浦の負傷をヒントにしたような描写なのだが、どっちが早かったか、ちょっとはっきり覚えていないので、単なる偶然かもしれない。
ともかく、この日本シリーズ、第1戦と最終の第6戦が描かれているのだが、この年の日本シリーズというと、後世よく語られるのが、第4戦のエンディ宮本と、寺田の落球である。
9回裏二死満塁から、スタンカから逆転安打を放ち、シリーズの流れを手繰り寄せた宮本は、このシリーズでMVPを獲得するのだが、その直前に、南海の一塁手・寺田が平凡なファールフライを落球する、という「世紀の大エラー」をやっているのだ。
後になって思うと、あのとき寺田のエラーがなければ、南海の3勝1敗となって王手をかけていただけに、おそらく南海の優勝で終っていたことだろう。
川上巨人は1年目で、ひょっとするとその後の、昭和40年から始まる9連覇も違う形になっていたかも知れない、とまで言われた、世紀の落球事件であった。
だが、このエラーが大きく取り上げられるようになったのはかなり経ってからで、当時は単に読売側が九死に一生を得た、という程度の感覚でしかなかったようだ。
球史に残る大エラーといえばもうひとつ、昭和48年の阪神−読売戦での「池田」のバンザイ・エラーが有名だが、これも、このエラーが出た時点ではまだ阪神が首位を走っていて、読売は低迷を脱しつつあった、という状況に過ぎなかった。
だが、それ以後、読売は勝ち続け、阪神は歯車がかみ合わず、江夏、上田と2人の20勝投手を出したにも関わらず、最終2戦で中日、読売(直接対決)に屈して優勝を逃すことになる。
そこで、その起点となったのが、あの池田の平凡な外野フライをひっくり返ってしまってとれなかった点にまでさかのぼって「世紀の大エラー」とまで言われるようになったわけだが、この2つのエラー、ともにその後の展開で、後付けで決められてしまったようなところがあった。
この寺田の落球も、落球時点ではどうということもなかったが、後日大きく取り上げられることになったのかもなぁ、と思ってしまったわけだ。
と、志村アナの死から、連想ゲーム的にいろいろと思い描いてしまった。
まぁ、日記だし、こういうとりとめもない想いを記録しておくのも悪いことではないだろう。

*1:このあたりまったくの記憶である。コミックスは持っていないし、少年ブック誌の「名作まんが新書」シリーズで大半を読んだだけなので。したがって、コミックスの方と違いがあるかもしれない・・・。

*2:今日の記録では、史上初の三冠王は、1リーグ時代に、既に読売の中島治康によって達成されていたが、当時はこの記録はあまり認識されていなかった。記録の未整理、認識の相違等によるものである。ちなみに、今日、稲尾とともに1シーズン最多勝の記録であるスタルヒンの42勝も、長い間40勝でカウントされていた。今日の勝利投手基準にあわせれば、40勝であるが、過去にさかのぼって記録の訂正はしない、というルールにより、一応現在では42勝にカウントされている。