火星の月の下で

日記がわり。

語学について覚書

諸外国語は好きで、それこそ小学校の頃からいろいろとかじってきたが、本業に、ということを考えたことは一度もなかった。
大学も最初数学専攻、それから化学専攻へと浮気して、専門にやった、という感覚はまったくなかった。
「語学は男子一生の仕事である」ということばに打たれて、諸外国語としてではなく、語学として認識したのは、恥ずかしながら20も半ばを過ぎてからだ。
もちろん、関口存男の著述からの文言である。まとまった書籍にあったものではなく、語学雑誌の記事の中に載っていたやつだったと思うが、とにかく関口のことばとして、それはしっかりと意識の中に根付いていった。
『冠詞』全3巻を購入して読み始めたのもこの頃から。
関口のものは、ドイツ語のみならず、戦前に彼が書いたといわれているラテン語ギリシア語、フランス語のテキストなんかも集めてきて読んだ。ラテン語は十代の頃からやってたのでなんとかなったが、ギリシア語やフランス語はそれがきっかけで始めたようなところもあった。だがまぁ、諸外国語はけっこう長くやっていた、という自負はあったし、ほとんどの日本人が外国語を12歳の中学入学からスタートするのに、その2年以上前から、しかも英語以外の外国語をしていた、ということもあり、そのこと自体はきっかけの一つにすぎなかった認識だったけど、ものの見方はかなり変わっていったように思う。
同時に、この頃から解釈学についてもいろいろと考えるようになった。
意味を置き換えるだけの「翻訳」それはUebersetzungと言うが、語義からしても置き換えである。
それをさらに進んで、解釈学、つまりInterpretationの域で文献を理解しなくてはならない、というフィロローギッシュな観点での視点を教えてくれたのは、望んで2つめの大学の門を叩いたときに出会った恩師の一人、深田先生のゼミでだった。
師はさらに言われた。そこから進み、Hermeneutikの中に入っていって、初めて理解したと言えるのだ、と。
Hermeneutikというのは、辞書的には「聖書解釈学」あるいは「ヘルメス文書学」などと解されていることもあるが、特定文献を対象にしたものではなく、解釈学のさらに上へとつながっている領域である。
年降りて、もはやそういった境地には到達できない自分が認識され始めるようになってくると、その輝きがどんなものだったか、というのは、今では空想の範疇に入ってしまったが、そういった解釈学の真髄を学んでいた頃のことを思い出すにつけ、「語学は男子一生の仕事である」という関口の言葉が思い出されるところだ。
誤解なきように書いておくが、これは大学の第2外国語擁護のための文ではない。
第2外国語に実用には供さない言語がズラズラ並んでいることについては、擁護の意図なんか微塵もないし、およそ語学に深奥など見ようとはしない、単なる通辞屋にすぎない大学教員なんぞの職のための第2外国語なんぞ必要性はそれほど感じていない。*1
なんかとりとめのない文になってしまったけど、まぁここは日記なんで、日々思ったことを記録しておいてもいいだろう。とりとめのなさ、はいつものことだし。(笑)

*1:さらに注釈であるが、もちろんこれは語学専門と違うところで展開されている学部・第2外国語の場合である。専門の学生についてはたとえ実用に供さなくても必須だとは思う。