火星の月の下で

日記がわり。

性詞いろいろ

「ビッチ」という言葉について(さらしるさんとこ経由で、utopianismさんとこのコラム)
「ビッチ」「サノバビッチ(son of a bitch)」なんて罵倒語は、映画を通じて入ってきたように思うが、最近のネット界隈でも定着してきた、という話。
現状でのネット上での使われ方をいろいろ収集・分類してて、なかなか面白かったのだけど、我々があちゃらのコトバを学び始めた頃、こういった「ビッチ」「サノバビッチ」というような言い回しについては知ってはいたものの、「ああ、dogの女性詞ね」という反応の方が先にきた。
すこし個人的な事情で、英語よりもドイツ語の方を先に小学生時分に始めていたこともあって、この女性詞については、普通の英語学習者よりも反応が早かった気がする。
とはいっても、英語は別に専門でもないので、世間的な知識しかないけれど、「ビッチ」に関してはもともとが「雌犬」なんで、これを男には転用できんよなぁ、というくらいの意識は少しあった。男の場合はサノバビッチ・・・なんだろうけど文字が長くなるためか、それほど罵倒語としては、少なくとも日本語の現場には定着していないように思う。
ドイツ語の場合、古語表現を除くと、雄犬が「der Hund」雌犬が「die Hündin」と女性詞化させているだけでかなりお手軽ではあるが、一応区別はできる。
猫になるとこれが逆で、ドイツ語の雄猫が「der Kater」雌猫が「die Katze」で、一応女性詞化の亜流ではあるものの、区別はかなり明確に残っている。
ところが英語になると、元来雌猫の意味であった「cat」がネコ一般の名称になってしまい、雄ネコ「kater」はほぼ死語、もしくは古語である。
雄ネコの区別をする場合、英語では「tomcat」とか「hecat」なんていう風に、catの前に男名のTomとか、heなんかをつけるようになってしまった。
アングロサクソンにとっては、猫よりも犬の方がはるかに親近感があったということだろう、ドイツ語の「der Hund」の対応表現たる「hound」も、猟犬という別の意味を与えられて生き残っている。
動物をどう表現しているか、というのは、言語の特質がかなりあらわれてくる面白い観点で、雌雄で違う名詞が用意されていたり、われわれ日本人の目には同じに見えるものをしっかりと区別していたりしている。日本語ではmouseとratはどちらも「ネズミ」だし、hareとrabbitはどちらも「ウサギ」だ。
牛や馬なんかでも、かなり多彩な表現を持つ欧州諸語、支那諸語に対して、日本語では「ウシ」「ウマ」ですませている。
ところが、魚とか虫とかになると、日本語の多彩さが際立つところで、この点に関しては、欧州諸語や支那語をはるかに凌駕する。
生活環境を考えてみればわりと納得できるところで、こういったことばの点からも、我々日本人が牧畜・騎馬民族ではなかったことを示してくれているように思ったものだった。
話を英語に戻すと、本来ゲルマン系言語を主幹に持っていたのに、ノルマンコンクェストによって大量のフランス語が語彙の中に入ってきて、それが今日の英語における屈折、曲用の磨耗、名詞の多彩さを生み出しているわけで、他の欧州諸語とはいささか事情が違う。
違うけれども、そういった言葉が選択されて残っている、というのは、やはり連中の騎馬民族としてのルーツを感じさせてくれるところでもある。
・・・と、とりとめのないことを思ってしまった、5月のある日であった。(^_^;