火星の月の下で

日記がわり。

◎『閃光のナイトレイド』の時代

アニメノチカラ第2作『閃光のナイトレイド』もそろそろ終わり間近になってきて、私の地方で最終回はまだなんだが、いろいろとクライマックスになってきている。
この作品は、大戦前夜の支那大陸を舞台にした超能力者のスパイ戦を描いているのだけど、ときどき時代背景として、士官学校やら軍属に入ることの意義なんかが、家族の期待や家柄なんかとともに語られている。
その中であったこんな場面。
超能力を有する主人公グループの一人、葵青年が、家族の期待を一新に担い、ついに士官学校を卒業したとき、家柄について厳しくしつけていた祖母が教訓を垂れた後、「ご卒業おめでとうございます」と言って畳に額をこすりつける場面があった。
軍属の母、皇軍の母、を地で見せている印象で、価値観の時代背景を描くにはかなり効果的だったと思う反面、いや、昭和10年代だったら、そろそろそえういう考え方でもなくなってきていただろう、というのと、両方感じ取ってしまった。
いや、この場面は、それが事実かどうかではなく、事実らしさ、そして当時の時代風潮を、精神風景として描いているので、そのあたりはよくできていたんだが、我々は既に、銃後の母達がどんな思いで夫や息子、兄弟たちを戦地に送り出したか知っている。
葵は名門の家柄で、そこから士官学校を経て軍属となる道を歩んでいるのだから、徴兵でとられた一般市民とは違っていて当然とは思うものの、それでも、ある程度の知識があればズレを感じてしまうのだ。
こんなことを思ったのも、吉野源三郎の名著『君たちはどう生きるか』が、昭和12年に書かれたことを思いだしたからだ。
眼前にあるものを、どう真剣に眺めるか、ということがしっかりと意識されていた時代のことなんかを思うと、資料だけで時代を伝えるのは難しいものだなぁ、と思った次第。
なんか全然まとまらんけど、ま、日記ということで、といういつもの逃げをうって終えておくことにする。
今日はちょっと眠いのだ。(連日サッカーの見すぎかも)