火星の月の下で

日記がわり。

◇暑い夏と世代の記憶

梅雨はあがったんだろうか、ちょっと天気関係のニュウスを見てなかったので、どうもはっきりしないが、頭痛がかなりおさまってきたので、体感的には梅雨あけである。
CSを入れてから、チャンネルNECO、日本映画チャンネル、時代劇チャンネルとかを見るでもなくぼんやりつけてることが多いんだが、昭和30年代から40年代前半くらいの映画を見ていると、暑い夏にうちわでパタパタやりながら、役者の皆さんが「もうたまらん」といった感じで演技しているのがよく目に入る。
新聞社とか県警本部なんかで、相談しながら、それでも暑くてたまらん、といった感じでうちわをあおぐシーン。
あるいは、夕刻になって扇風機にあたりながら、まだまだ暑いんだけど、少しホッとした、みたいな表情。
昔の映画俳優は、ああいうのは必須だった。もちろん、撮影しているとき、ところも実際暑かった、という場合が多かったろうと思うが。
今だとたいていの会社にはクーラーが入ってるし、個人宅にクーラーがある、というのも珍しくない、というか、戸建で無いほうが珍しくなってしまった。
十代、二十代の人にとっては、生まれたときからクーラーはあったろうから、そういった映画のくそ暑い場面を見ても、「ああ、この時代はクーラーがなかったから、こうなるんだな」という頭の理解になってしまうだろう。
ところが、実際にクーラーがなかった世代を経験している、人生の半分くらいはクーラーの無かった世代のワタクシのような者さえ、もうクーラーのなかった時代が、まるで他人の記憶であるかのごとく感じるようになってしまった。
世代の記憶の差、経験量の差、というのは、年齢の離れた相手に対して説明するとき、便利なものなのでついつい使ってしまう、という場面をよく見るが、あれは詭弁、と言うと少し言いすぎだが、方便、と言っていいくらいのものだろうと思う。
要は適応できるかできないか、という問題で、実際に適応してしまえば、経験してたって、後付で知った若い世代の知識と大差がなくなる。
もちろんそれに対する郷愁のような、感情の部分では違うかも知れないが。
クーラーがない、テレビはモノクロで家族で見るもの、便所は汲み取り式、政令指定都市で戸建に住んではいたものの、土間があって、フロは薪で釜焚き、なんてのも、少年期にしっかりと体験してて、水洗になったりクーラーやカラーテレビが家に来たりしたときの嬉しい記憶は明確にあるものの、もうほとんど他人の資料、映画の世界みたいな感覚になってる。
トイレも、今だとウォシュレットじゃないと、行く気になれない、くらいの感覚になってるし。
ここからなにか、平和の大切さ、みたいなお題目でも書こうかと思ったが、それが本来の主旨ではないのでやめておく。
単に、クーラーが無い辛い夏を体験していたはずなのに、そのことが記録写真のような感覚になってしまっていることよ、ということが主旨だったからな。