火星の月の下で

日記がわり。

ブラームスの初期作品

ブラームスは自分の作品に厳しくて、若書きの作品を破棄したり、出版されたものでも後年改訂の手を入れたりしているので、初期作品でも、いわゆる「ブラームスらしさ」、憂愁と諦念に満ちた詩情が漂っているんだけど、それでも初期作品をいろいろ聞いていると、その変化、ブレなんかが出てて面白い。
どのあたりまでを初期作品とするか、だが、「第一交響曲(OP68)まで」とか言い出すと、前半生、見ようによっては2/3くらいまで終わっているので、ピアノ協奏曲第1番ニ短調(OP15)前後までを取りたいところ。
まあこのピアノ協奏曲にしても、初期作品というより、前半生作品と呼んだ方が適切な気もするけど、ブラームスの重厚な構成とメランコリーあふれる豊かな楽想、にもかかわらずその合間合間にもれてくる、どうしようもない若さとその力、それが構成の枠を破ろうとギシギシうめいているかのような緊迫感は、まさに若き天才の音楽を示してくれているので、初期作品として考えてもいいのではないだろうか。
念のために書いておくけど「初期作品」と言う言い回しは、けっして蔑称ではない。
ブラームスの初期作品は、このピアノ協奏曲に代表されるように、ピアノ作品が多くて、作品番号の1番と2番もピアノソナタである。
だがこの後つくられた作品番号5番のピアノソナタ3番も含めて、まだブラームスらしさはそれほど濃厚には感じられず、むしろ先人の影響、とりわけよく言われるベートーヴェンの影響(というよりむしろ、研究成果)が強く前面に出てきて、それほど強い個性までは感じない。
それが、作品番号8番のピアノ三重奏曲第1番ロ長調までくると、明確に「ブラームスらしさ」が伝わってくる。
こんにちこの曲は、後年ブラームスが改訂した版の方が使われることが多くて、そちらはもうギトギトに「ブラームス」なんだが、作品番号8番の初稿の方でも、そういった個性と、研究成果、そしてギシギシと骨を揺さぶって外に飛び出したがっている若く暗い情熱が渦巻いていて、このあたりから「ブラームス」が始まってくる印象だ。
ブラームス前半生の佳曲は、ピアノ協奏曲第1番とその翌年に作曲された、弦楽六重奏曲第1番(第2楽章がルネ・マルの映画『恋人たち』で使われた、あの曲)あたりから始まる。
この曲と、ヘ短調ピアノ五重奏曲(OP34)、チェロソナタ第1番ホ短調(OP38)あたりが、第一交響曲以前の、私の好きなブラームス前半生の名曲である。