火星の月の下で

日記がわり。

グリルパルツァーの『メデア』から

ついったーで時々見かける名言ポッド。
その中にグリルパルツァーのものがあって、こんなのが流れてきた。
この世の幸福とは何だろう?―それは一つの影にすぎない。
この世の名声とは何だろう?―それは一つの夢にすぎない
これ、たぶんなんかの名言集から引っ張ってきたんだろうと思う。
というのも、ちょっと語調がおかしいから。
これ、グリルパルツァー前半期の大作、『金羊皮』三部作より第3部『メデア』終幕のセリフで、メデアが、夫ヤーゾンに絶望の中から絞り出すようにして語りかけることばなのである。
以下、簡単に、ギリシア伝説「コルキスの金羊毛伝説」とアルゴ探検隊、イアーソンから材をとった『金羊毛』3部作の概要を示す。

第一部『賓客 Gastfreund』一幕、第二部『アルゴ探検隊 Die Argonauten』四幕、第三部『メデア Medea』五幕。
継母からの迫害を逃れるべく、フリクソスは妹ヘレを連れて黄金皮の牡羊の背に乗って海を渡り、コルキスへ逃れる。
だがその途中、ヘレは海に落ちる。
それが「ヘレの海」、即ち「ヘレスポントス(ダーダネルス海峡)」と言われるようになる。フリクソスはコルキスに着き、アイエーテス王の賓客となって牡羊を神に捧げる。
だが王は金羊毛に魅せられてフリクソスを暗殺する。
魔法姫メデアが、一族の破滅を予言する。
金羊皮の噂が近隣に広がり、ギリシアの英雄ヤーゾン(イアーソン)が快速船アルゴ号を建造し、ヘラクレスカストルオルフェウスらの英雄を乗せてコルキスへと向かう。
金羊皮を守護せる龍を倒して宝物の奪取に成功する。
だが、魔法姫メデアは、仇であるはずのヤーゾンに「鉄が磁石にひかれるように」恋い焦がれ、執着する。
憎しみから生まれた愛、意志と運命の葛藤。
メデアはついに親族に背き、ヤーゾンとともにギリシアへ渡る。
だが、財宝の呪いから、彼女は夫となったヤーゾンに捨てられ、2人の間に生まれた子供達にも背かれ、狂乱の末、我が子を殺す。ヤーゾンを魅了した恋敵の王女を焼き殺し、金羊皮をデルフィの神託に捧げ、神の審判を問う。

失意に沈む夫ヤーゾンに向かって、メディアから発せられる終幕のことばが、上にあげた言葉の元である。
従って、世人に対して発せられたかのような発言ではなくて、怨恨と愛、運命と自我の相克の中で、その相手たるヤーゾンに投げかけられたことばなのだ。
原文から、その部分をひいてみる。
Was ist der Erde Glück? – Ein Schatten!
Was ist der Erde Ruhm? – Ein Traum!
Du Armer! der von Schatten du geträumt!
Der Traum ist aus, allein die Nacht noch nicht.
(拙訳)
この地上の幸福とは何でしょうか? −影にすぎません。
この地上の名声とは何でしょうか? −夢にすぎません。
かわいそうなあなた! あなたは影を夢見ていたのです。
夢はさめました。でも夜はまだ続きます。
かくのごとき苛烈な状況下で発せられる言なので、穏やかな諦念ではなく、鋭く深い絶望の言、と言った方が近い。