火星の月の下で

日記がわり。

リリーからジョンソンまで

『ホライゾンII』を見てたら「アスリート詩人ベン・ジョンソン」とか「トマス・シェイクスピア(CV:斎藤桃子)」とかが出てきてひっくり返ってしまった。
単に英国がらみで名前を借りただけで、しかもジョンソンの場合、同名の短距離選手とひっかけて、というかたぶん短距離選手の方がメインで、そのついでに出された感じではあったけど、せっかくの機会なんで、1600年を境にして前後30年のエリザベス朝演劇からステュアート朝にかけての演劇模様を簡単に覚え書き程度、記録しておく。
・ジョン・リリーと大学出の才人たち。
まずジョン・リリー(1554-1606)。
彼は大学での才人(University Wits)の先陣を切る形で登場し、叙情的な喜劇を8編書く。
少年劇団による作品でも知られ、中でも『アレクサンダーとキャンパスピ』や『エンディミオン』は当時の教養、優雅さを伝えてくれる。
唯一の韻文劇『月の女』はシェイクスピア初期の傑作『リチャード3世』とほぼ同じ頃に執筆されたらしい。
トマス・キッド。(1558-1594)
何よりも『スペイン悲劇』(1587)で知られるこの劇詩人は、恐怖、犯罪、亡霊などの素材を上手く使い、復讐悲劇流行の端緒となった。
リリーとキッドの間にジョージ・ピール(1558-1597)やロバート・グリーン(1560-92)もいるが、マーロウ登場以前の劇としては『スペイン悲劇』がもっとも優れているだろう。
・クリストファー・マーロウ。(1564-1593)
このシェイクスピアと同い年の優れた劇詩人に関しては、ここで簡単に出して終わらせるべき存在ではなく、この時代の劇詩人としてはシェイクスピアと同等の重要性をもつ作家ある。
したがってここでは詳細に入りこまないけれど、こと詩才に関してはシェイクスピアをしのいでいたのではないか、という人も多い。
政治運動に巻き込まれて29の若さで命を落とすが、もし彼が長命であれば、いや、あと10年でも長く生きていれば、どんな傑作を残したか、と想像はつきないし、シェイクスピアにももっと強い影響を残したかも知れない。
代表作として、ルネサンス的巨人像の体現『タンバレイン大王』二部作。(1587)
その他には、『フォースタス博士の悲劇物語』(1588)、『マルタ島ユダヤ人』(1589)、『エドワード2世』(1592)等。
ウィリアム・シェイクスピア。(1564-1616)
あまりに著名なので、ここでは名を上げるにとどめる。
ただ生没年を見てわかるように、最長老格のリリーから、ステュワート朝の風雲児ジョンソンまでは時代がかぶっていて、リリーの死んだ年にジョンソンは代表作『ヴォルポーニ』を発表している。(ただしマーロウは短命であったため、ジョンソンの活動時期とはほとんどかぶらない)
ベン・ジョンソン。(1573-1637)
その生涯があまり詳しく知られていない沙翁とは対照的に、波瀾万丈の生涯を送り、きわめて闘争的な詩人であったとも伝えられる。
沙翁同様大学出の才人ではなく、劇場たたき上げでのし上がってきた人物。だが、これも沙翁同様、きわめて幅広い教養、知識を備えていた。
修業時代に仲間の役者を殺害して入獄した経験もあり、カトリックに改宗したり、さらにまた国教会に改宗したりもしている。
功成った後は、劇団に多大な影響を残し、後輩作家達とも「ベンの息子達」としてさかんに激論を交したという。
エリザベス朝演劇を頂点に高めた人物でもあり、シェイクスピアの追悼文を残したことでも知られる。
代表作として『ヴォルポーニ(狐)』(1606)。
その他に、ガレノスの4体液質に基づく「性格喜劇」(comedy of humours)の傑作『十人十色』『皆、癖(気質)がなおり』、あるいは下層社会の生活を活写した『バーソロミュー・フェア』などがある。
ガレノス4体液質とは、
・血液質(blood):陽気、楽天的。
・粘液質(phlegm):粘液質、冷静。冷淡。
・胆汁質(choler):短気。かんしゃく起こるニダ!
・黒胆汁質(black bile):憂鬱症。内向的。
粘液質などはそのままの形で日本語としても定着しているが、日本語の粘液質は、ちょっと幅が広すぎるかな。
このジョンソンの後に、チャップマンとか、ヘイウッド、マーストン、ウェブスター、ターナーなどが続くが、シェイクスピアの同時代としては、このあたりまで、と言ってもいいだろう。
この時代の演劇史に於いてジョンソンの劇は、沙翁、マーロウに続く重要なものなんだけど、この2人ほどには話題に上がらないのが残念ですな。