火星の月の下で

日記がわり。

◎牧野信一と中二病恋〜毎日の書評から

今週の本棚・この3冊:妄想=末國善己・選(11月25日・毎日新聞書評欄)

炎を操る魔道士という妄想を封印した高一の富樫勇太と、自分を魔術師と信じる同級生の小鳥遊六花が騒動を起こす深夜アニメ「中二病でも恋がしたい!」にはまっている。
自称魔術師がいるので超能力バトルも出てくるが、かっこいいのは妄想の中だけ。
華麗な戦闘が、実は箒でチャンバラをしているだけという現実のシーンが挿入されるので、妄想との落差も面白い。
この作品に魅かれる理由を考えていたら、大学時代に愛読した牧野信一に似ているからだと気付いた。
代表作の『ゼーロン』は、主人公の「私」が、友人にブロンズ像を届けるため、やせ馬のゼーロンと箱根の山を登っていく私小説だが、「私」が中世ヨーロッパの吟遊詩人だという妄想を語るため、アニメと同じく現実の風景と幻想世界が二重写しになっていくのだ。
アニメのタイトルにある「中二病」は、自意識過剰のあまり現実と妄想の区別が付かなくなった若者の言動を皮肉った言葉だが、牧野の作品を読むと、「中二病」的な妄想を抱く人が、いつの時代も存在していることがよく分かる。
『ゼーロン』が、貧乏書生「私」の妄想を描いた作品ならば・・・(以下略)

今朝の毎日書評欄。
厳密に言うと、書評のところではなくて、ゲストにきてもらって好きな本を3つ挙げる、というコーナーの一文なのだが、書評ほったらかしで、全体の約1/5の字数で『中二病恋』について書いてあって、笑わせてもらいました。
一応タテマエとしては、牧野信一ギリシア幻想ものを紹介する一文の枕として出してきているんだけど、明らかに『中二病恋』の方が密度が高い。
刺身のツマにされちゃった牧野信一(昭和初期に死んでるけど)の方は良い迷惑かもしれん。
でもこれが契機で牧野信一の読者が増えてくれたら少し嬉しいな。(^_^;
(以下略)で略したところは、残りの2冊について書かれたほとんど関係ないところなので、省略した。