火星の月の下で

日記がわり。

○海外で英語を話すことの危険性

テロリスト「神は偉大なり」日本人撃たれる
情報が整理されてないので、どこまで信じていいのかはっきりしないし、この言葉が発せられた前後の状況がわからないので、この事件について、というのではないが、少し思うところがあったので記録しておく。

日本人が英語で話してた
すると犯人が「神は偉大なり」と言いながら日本人を撃った

前後状況がわからないので、この事件そのものについてではない、ということをくどいけど書いておく。
以前、洋書も扱っている生物関係の書店でなじみの店主と爬虫類関係について雑談していたところ、少し若い客がやってきて「○○の飼育方法について、洋書でもいいからいいのがないか教えてほしい」と言ってきた。
店主がチラチラとこちらを見たので、「今ここにはないですけど、その種類に関しては、洋書でないとたぶんないと思いますよ」と助け船を出した。
その客が(私も客なんだけどね)「洋書は読めるのでかまわない」と言ったので、ドイツ語とロシア語の書籍名をいくつか挙げると「英語じゃないのですか」と少しがっかりしたような表情になった。
いや、爬虫類関係で洋書って言うと、まずドイツ語、次にロシア語で、英語はその次になるんだけどね。もちろん日本語よりは圧倒的に豊富ではあるんだけど。ただ、たまたまその種類に関しては、英語書籍ではいいのがなかったのだ。20年くらい前なので今は少し違うかもしれんけど。
当時このことは、多くの日本人にとって海外の言葉、洋書、というとほとんど英語が全て、という感覚なんだなぁ、という思いをあらためて強くしたことがあったので、妙に印象的に覚えている。
たしかに先進国や、マイナーな言語の地域とかだと英語が事実上国際共通語みたいになってるので便利だし、その効果や利便性を否定する気は毛頭ない。
だが、万能ではないのだ。
特に英米に反感を持っている地域だと「英語でしゃべる」というのがけっこう危険な場合もある。
私でなく友人の体験談なのだが、アジアのある国に商談に行ったときのこと。
現地の仲間の人に「英語は使わないでください」と念を押されたことがあったらしい。
英語でしゃべると危険だと言うのだ。
資本主義国家に反感を持ち、その共通語たる英語話者に憎悪を抱き、しかも別宗教でそこそこ多い言語人口の地域。
そこで英語でしゃべる、というのは、けっこう危機感を感じてしまうのだが。