火星の月の下で

日記がわり。

○晩年になって

晩年になって、いろいろと過去のことを思い出してしまうことも増えたのだが、その中の一つ、幼年期の頃に抱いていた未来像。
多くの例に漏れず、いろんな非現実的な未来像やら希望やらをもっていて、そのうちのいくつかは恥ずかしさとともに想い返したり、ある程度は実現、とまではいかなくても体験できていたりすることもあるのだか、その逆にまったく夢想だにしていなかったこととして、家庭像がある。
結婚して妻子を得て、というのがこどもの頃からまったく未来像として見てなかった。
いや、ひょっとするとあったのかもしれないけど、記憶に残らないくらいの浅さ、小ささだった、ということか。
誰か他の異性と一緒に生活して、ということに現実感がなかった、というよりむしろポジティヴな感覚がなかった、ということが正確だろうか。
結婚は墓場である、家庭を持つことは男にとって地獄である、最初の数年間の甘さとその後に続く遅効性の毒を仰ぐ日々、こういうイメージがこどもの頃からものすごく強かったので、結婚とか新婚とか家庭とかに夢はまったくなかった。むしろそういった地獄をおとなになったら強いられるのか、という恐怖感さえあった。
幸いなことに誰かと結婚する、という不幸を体験することなく人生を終われそうなので、その点ではうまくいった未来像の一つになるのかもしれない。
もっとも「何かを主体的にした」ことによる未来像ではなく「しなかった」ことによる未来像なのであんまりほめられたものでもないのだが。