火星の月の下で

日記がわり。

◎敵は徐々に強くなるのだろうか?

バトル漫画の「弱い敵から順番に出て来る」問題の克服法の考察
この前段階の記事として、「バトル漫画における「敵をどう用意するのか」問題」というのがあって、そっちも読んでたけど、こっちの方はあんまり心に響かなかった。
というのは、それほど深い答えが用意されてなかったから。
もちろん私にも深い答は用意できないけど、なんか現象を解説しただけだったので。
それに対して上の記事、弱い敵から出てくる、という問題点に絞ってあったのは面白くて、考え方ってのは人それぞれだな、と思った次第。
まず第一の問題点。
バトルものにおいて敵は弱い敵から出てくる、これが公式化されるくらいにいっぱいあるのか、という点。
強さのインフレとともによく出されることではあるし、確かにこういう現象を伴う娯楽作品は大昔からあった。
しかしたいていは、最後に少し格上の相手が出てくるだけで、そこに至るまでの戦いは概ねヴァリエーションの範囲で、そんなに弱い敵から、という感じはしないんだけどな。
たとえば『甲賀忍法帳』
最後の敵として不死身の忍者が用意されており、主人公単独では倒せない。
まぁ倒せるだけのギミックは主人公側にも配置されていたので、ここでいう「最初から最強」の範囲に入るのかもしれない。
そういった作品を読んでみればわかるけど、厳密には最強ではないんだけどね。
ただこれって昔の時代劇とか忍者ものとかにはわりと普通にあったことで、最後に強敵はいるけれど、そこまでのプロセスとしては「弱い敵から出てくる」「徐々に強くなっていく」というのはそれほど感じない。
伊賀の影丸』なんかでも、敵忍者群の首領(老人であることが多かった)は一段階上で、時には単独では勝てず自害させて決着(半蔵暗殺帖)みたいに終わることもあったが、そこへ至るプロセスとしては、単にヴァリエーションの範疇で、特に弱い敵から出てくるということもなかった。
「七つの影法師」や「旅日記」では最後の対戦相手が最強ですらなかった。
そんなわけで、「弱い敵から順番に出てくる」というのは、バトルものの中でも特定の限られたジャンル、世代に限定されるのではなかろうか、という気分がけっこう強い。
たしかにジャンプの漫画作品だとそういう傾向が強いのかも知れないけど、それって、ワンノブゼムだしなぁ・・・。
言ってみれば作品ではなく、限られた特定の編集部の趣向、という感じさえする。(キメウチしているわけではないけど)
次に、主人公が成長していく過程であるがゆえの必然、という問題について。
最初がその道の入門者であれば、これはごく仕方ないことじゃないだろうか、とりたてて問題にすることかなぁ、という気がかなりする。
スタートラインが、入門者、初心者、まだ才能が開花する前、あるいは平凡な中学生(小、高、あるいは一市民でもいいけど)が最初に経験する相手、そしてその道に入っていく動機、経緯であれば、身の丈にあった強さとの出会いになるし、そうでなければ物語は進まない、あるいはそもそもその道に入っていかない。
で、その次の、少しだけ強い相手と遭遇する、というのはスポーツの地区大会を考えてみればわかることで、A地区を勝ち抜いた主人公と、B地区を勝ち抜いた次の相手は、勝ち抜いた分だけ少し強くなっているのは当然で、さらに次の全国大会になれば・・・とつながっていくので不自然さはないと思う。
スポーツではなくて、生きるか死ぬかの超人バトルだとちょっとあてはめにくいかも知れないが、上になればなるほど仕事量は多いので、些細な(と判断される)ものであれば、下にまかせたい、と思うのはこれまた当然でしょ。
問題はその自然さを演出できなかったり、あるいはそのステップに消費者(あえて読者ではなくこう書いておく)が慣れてしまった、という点だけで、そのパターン自体は、それこそ小学校を卒業したら次の義務教育、中学校へ進学しましょう、というのと同じくらい自然なことだと思うんだけどな。
ただそれにしても組織戦になってくると、初代『ガンダム』のように最初からほとんど最強に限りなく近いシャアが出てくる、という例だってあるしなぁ・・・。
さらにもう一点。
上の記事ではあまり触れられていないけど、そうはいってもその現象が目立ってしまう、という心理は理解できるのだ。
つまり人気作品の連載が長期化してしまうと、いったん頂点を極めたはずなのに、そこからまた上の敵が現われて、というやつなんだろう。
こうなってくると、長期化したのを綺麗に終わらせられない、あるいは終わらせてくれない、という現象の方が重要だと思うが、強さのインフレとは違う問題なのではなかろうか。
しかもやっかいなことに、今の消費者はその連載作品がここまできた道のりをコミックス等で同時に知ってしまう、ということで、最初からそこまで計算されていたわけでないことがほとんどなのに(そう言っちゃう人もいるけどね、鰤地の人みたいに)最初の頂点を極めていたときとの比較をされてしまう、という苦境に陥ってしまう。
これは作り手としてはつらいところなのですよ。
私か現役だった頃はたとえ週刊誌でもこんなにスピードが早くなかったので、時代の変化、時代の要求で片付けられるかもしれないけど、まぁ、ちょっとだけ思ったことなので、いつものごとく日記感覚で残しておく。