火星の月の下で

日記がわり。

○麻雀を知らない子供達

「麻雀は何故『遊ばれない』か?〜麻雀の社会学(?)」(togetter:921446)

「博打はイヤ」が強調されてるのは違和感。

うん、これはよくわかる。
男と女で感じ方がかなり違いそうだけど、賭け麻雀については牌に触れるはるか以前から知ってたけど、それが嫌いになる理由としてはまったくなかった。
世代が違うのかも知れないけど。
ただこのまとめ、自身の実体験と照らし合わせてみて、世代の違い、土地の違いなんかが強烈にあって、

てか、「高校時代に普通にやってた」世代が、まだ私の預かり知るとこで普通に生きてる人たちでもあるってことは「麻雀が日常だった世界」はそんなに昔じゃなかったって事じゃん

ここがものすごい違和感で、わたしゃ1950年代の生まれだけど、高校時代に麻雀やってたヤツなんて母校はもとより、他校も含めてまったく知らないぞ。囲碁将棋をやってるのは、私も含めてゴロゴロいたけど。
身近に麻雀をやってる人間を見たのは大学に入学してから。
学部や部活に関係なく、時間さえあればジャラジャラやってる層が一定数いて、さらにコミュニケーションとか、私的な連絡会や雑談の場として雀荘が使われてた、というのはけっこうあった。
だから、大学時代に覚えて、というのであれば私の周辺にもけっこういたけど、中高でやってた、ていう連中はかなり少数派だった感覚なんだが。
これ、首都圏と京阪地方限定の話じゃないのかなぁ、なんとなく当時中高からやってた、という連中の分布を思うと。
囲碁将棋麻雀の中で、ルールを一番最後に覚えたのが麻雀だったためか、未だにあの「役」というやつがよくわからない、というかすぐ忘れてしまう。
さして興味がないからだろうとは思うけど、囲碁将棋に比べて格段に敷居が高い気がする。
それが麻雀を遠ざけてる理由なんじゃないかなぁ。
しかも敷居が高いからと言って奥行きがあるか、となると正直よくわからない。
麻雀愛好家の人は「ある」と言うだろうけど、将棋派としては、断然将棋の方が奥深いと思うし・・・この辺は入れこんでいる側にとって変ってくるだろうけど。
でもなぁ、麻雀やってた頃(正確には大学時代、数あわせでやらされていた、もちろん賭けたことなんかない)でも「役」と点数計算があまりに面倒なので、それに気を取らてまるで何かの修業みたいだったし、楽しいなんて思ったことはただの一度もなかった、少なくとも人とやっているときは。
ちょっとばかし楽しいな、と思ったのはここでも最後の方で少し出てくる脱衣麻雀がPCゲームとして登場し始めた頃、まだMS-Windows3.1登場のはるか以前の頃だが、その頃は少し楽しかった。
もっともあれも、麻雀が楽しかったというより、その向こうにあるものが見たかったから、というのがいちばん大きかったので、必ずしも麻雀を楽しんでいたわけではないかも知れないけど。
子どもの頃からなじんでいる人に比べるとおとなになってから覚えた麻雀は、点数計算と「役」がとにかく面倒くさい、というのが一番にあるので、不人気の原因はそこだと思う。
賭け事云々で言えば、トランプはもとより、囲碁将棋だってあるしね。
脱衣麻雀については、

大人のイメージから離す、としたらガルパンみたいな麻雀アニメを…って既にありましたねw

というのに対して、こういう答があったんだけど、

あのとっつきやすさで、打牌やテクニックの解説も、遊戯王でいう所謂会話フェイズ(戦況解説して話を重くさせるアレ)的なの使って正しくやって、巨人の星的じゃないめちゃくちゃじゃない非オカルト麻雀してたら、完璧でした。

それやってたら、まず確実に人気出なかったと思うよ。(笑)
『咲』があそこまでヒットしたのはグラフィックとオカルト麻雀にあったわけだから。
その片翼がもがれるわけなのでグラフィックだけであそこまでの人気になったかなぁ・・・。
麻雀を正しく見せれば人気が出る、と過信しているような気がしなくもないけど。
もっともこれは将棋や囲碁でも言えることで『ヒカルの碁』があそこまでヒットしたのは、決して「囲碁だから」ヒットしたんじゃなくて、あのグラフィックと、ほったゆみさんの丹念に作り込まれた人間像と物語性があったからだし。
その意味で、あんまり将棋漫画をアニメにしてほしくないんだよなぁ。
ヒットしてもしなくても、けっこう複雑な心境になるから。