火星の月の下で

日記がわり。

○『真田丸』第42回「味方」

前回からいよいよ大阪の役に突入。
そこで登場する大阪城五人衆の異様な面々。
既に顔出しはありましたが、又兵衛の風体、存在感がなかなか異彩を放っててよかった。
いまのところ信繁改め幸村をガンガン敵視する野武士のような後藤又兵衛の獰猛な姿がいかにも印象的。
「五人衆」という巷間伝わる異称から、なんとなく五人が協力していたかのような印象を受けてしまうが「浪人達が多く集まったため収拾がつかない」という大阪城の史実からの見方が見事に打ち砕いてくれる。
まぁ、このあたりは本能寺や関ヶ原をほとんどスルーしていたのと感覚的には同じかな。
つまり『真田丸』は真田信繁、もしくは真田方からの視点で組み立てられている、ということで。
ただ、合戦において、真田以上の猛将と讃えられ「日ノ本一の兵」とは幸村ではなく毛利勝永のことだったのではないか、という見解もあるくらいの豪傑・毛利勝永がちょっと色が薄い感覚でもあった。
もっともこれは軍議の場でのことだったので、後藤又兵衛が存在感をガンガン示していたのはそんなに変なことでもない。
そして、大野治長の無能さ、有楽斎の策士ぶり、秀頼の侠気はあるが若く経験の無い姿等、城内の個性は最新の学説によったものが使われていたようで、なかなか面白かった。
ひっかかったのは、浪人連中がそろいもそろって野武士みたいだったことかな、いや、確かに大半はそうだったんだろうけど。
豊臣家臣団としてはけっこう良い出自だった毛利勝永が、ああいう扱いを受けていたのはちょっと不満。
歳も30代半ばだったし、又兵衛より20前後も若かったしね。
あと血筋だけで言えば長宗我部よりも、赤松傍流の明石氏の方が上だと思うんだがなぁ・・・。
「幸村」改名説をとったりして、ドラマゆえのオリジナルも注ぎ込んでいるし、必ずしも史実に適合はしなくてもいいとは思っているけどね。
特に戦国幕末に関しては、あまりにも多く作られてきたので、この程度なら十分許容範囲だとは思う。
最近はネットの発達なんかもあって、視聴している層も扱われている人物が史実ではどうだったのか、ていうのを簡単に調べられるしね。