火星の月の下で

日記がわり。

G・ハウプトマンの童話劇3部曲

岩波文庫からヴェデキント『春のめざめ』が新訳で出ていたようなので買って帰ったんだが・・・。
ちょっとひどいね、これ。
口語をふんだんに取り入れていて、そこが売りにもなってるみたいなんだけど・・・。
本作を児童劇と見るか表現主義の劇と見るかでだいぶ違ってくるんだろうな、ワタクシなどは後者の視点なので、いささか不満。
本作末尾に出てくる「首を抱えた少年の幽霊」で、ほぼ同時期*1のハウプトマンの童話劇3曲を思いだして、ついったに少しだけ書く。
1893年『ハンネレの昇天』(Hanneles Himmelfahrt)
1896年『沈鐘』(Die versunkene Glocke)
1906年『そしてピッパは舞う』(Und Pippa Tanzt!)
この中では『沈鐘』が一番有名で、水の精モティーフとして『ウンディーネ』『人魚姫』『ルーサルカ』等の系列で見られることもあるが、やはり幻想劇としての観点で見たい、と思ってしまう。
そして『ハンネレの昇天』
まだ自然主義のスタイル、技法が残っているというか活用されている作品で、童話劇というにはあまりに陰惨ではあるのだが、ハンネレの見る幻覚は間違いなく童話劇のそれで、この幻想の部分に入るととたんに韻文劇になる。
そして、現実の悲惨な状況が対比されるがごとく繰り返され、最後は昇天により幕を閉じる。幻想、現実、両方の観点から。
幻想文学の中における幻想劇を考える際、近代の黎明に登場した自然主義の巨人によるこの劇は、ストリンドベリの『白鳥姫』や『冠の花嫁』同様、もっと深く研究されてしかるべきだろう。

*1:ただし『春のめざめ』は1891年の作品だが、舞台に載せられたのははるかに下って1906年になってから。上演史の中で見るならまさに表現主義の時代で『そしてピッパは舞う』の同年である。