火星の月の下で

日記がわり。

スエービー族の歴史

民族大移動期の地図は、割と暇なときに引っ張り出してきてぼんやり眺めていることが多い。
東ゴート、西ゴート、ヴァンダルといったハデな動きをした連中とか、フランク、ザクセン、アングルといった後の中世中欧を構成する主要民族について、だいたいの基礎知識が入ってくると、次は周辺の諸族について思いがいたる。
ニーベルンゲンに取り上げられて有名になったブルグントとか、東ゴートの後に来たイタリアに入ったランゴバルト・・・この辺を周辺といっては問題があるが、そういったあたりの歴史もなかなかに面白い。全体俯瞰的な史書は邦語でも出ているが、個別になると簡単に参照できるものがなくなってしまうのが、残念なところ。もちろん、英語や独語で書かれている、とかっていうことより、気軽に書店で求められない、っていうことの方だけどね。
さて、最近興味を引いているのがスエービー族。
調べるほどに面白い民族で、民族大移動期にいきなり現れる名前ではなく、タキトゥスの『ゲルマニア』(長音略)やカエサルの『ガリア戦記』などに既に出てくる名前だ。
わけても『ガリア戦記』では、カエサル出陣の原因となった、アリオウィストゥスがこの民族の出身で、彼との戦いが前半、というか冒頭のクライマックスになっている。・・・クライマックス、はちと言いすぎかな。(^_^;
その後、ゴート族やヴァンダル族とともに帝国内部へと侵入し、帝国瓦解後はいろいろと曲折があって、イベリア半島北西部ガリシア地方に、現在のブラガを首都として建国したらしい。
ただし、民族移動期のスエービー族はそれほど強力な部族、というほどではなかったらしく、409年頃にやってきて、長く見ても585年頃に王国としては滅亡しているようだ。
この辺、ドイツのWikipediaに簡潔な記述がある。
この間、イベリア半島の大半を占める西ゴート王国との関係から、カトリックに改宗して対抗したり、またアリウス派に戻ってみたりと、けっこういろいろなことがあったようだが、国としての歴史はそんなに長いほうではなかったようだ。
そしてシュワーベンとの関係。
南独の一地方となったシュワーベン地方だが、これは大移動期に移動することなく残った部族、ドーナウスエービーの末裔と言われている。
つまり、ハデな民族移動をしたにも関わらず、移動先で混血に埋もれて民族として消滅してしまうのではなく、現在までその血脈が保たれている、ということである。シュワーベンは、移動しなかった方が残ったんだけど。
大移動期の主役であったゴート族が、ゴシックとか、ゴート語訳聖書とか、いろいろなものを残しながらも血脈としては残らなかったことを思うと、いろいろと感傷にひたってしまいそうである。まぁ、現今のシュワーベンが、アリオウィストゥスのスエービーの純粋な末裔かどうか、っていうのも、はっきりとはしないけどね。
とはいえ、一応系譜的には命脈を保っている、と言ってもいいのだろう。
個人的に興味をひくのは、上記のうち、やはり民族移動期にイベリア半島に建国されたスエービー王国である。
長距離移動したゲルマン諸族の例に漏れず、現地人との人口の差から極端に混血が進み、埋没していったようだが、カトリックに改宗した時期があったこととか、あくまで王室が崩壊しただけで、民族そのものが585年をもって滅んだとか、強制移住させられたとかではないので、ガリシア地方には今日でも、1%程度は、往時のスエービー族の混血末裔がいるらしいのである。どうやって調べたのか、ちょっとわからんのですが。(^_^;
そういったことも含めて、ブラガから北ポルトガルにかけては、風光明媚ないいところらしいので、死ぬまでに1度行ってみたい、と思っている。
スエービー族の遺跡とかはほとんど残ってないんだろうけどね。