火星の月の下で

日記がわり。

総体的なレヴュー、もしくは入門的な文について

RinRin王国さんとこのリンクから。
SF初心者これだけは読んどけ!と、
じゃあちょっと真面目にSFでも読んでみましょうかという気持ちになった富士見さん
SFはときどきこういうのがあるからいいね。
じゃあわれらが幻文は、というと、ファンタジーとしてはよくあっても、幻文としてはほとんど聞かない。聞いても、個々の作家として取り上げられてるくらいで、幻文としてはまずない。
ファンタジーと違って、幻文は総じて欝で、文体が晦渋なのが多いので、ラノベあたりからの転向組はまず拾えないし、おそらくSFからの転向組でも拾えるのはごくわずかだろう。
苦労して読んでも、結局のところ最後には原文というか、原語テキストをあたらねばならない、というのもハードルを異様に高くしている。
しかも、ようやくその楽しみがわかってきだすと、今度は周辺に思想系、それも「創造的な文学は退廃である」あるいは「幻想は現実逃避である」というお題目を唱えながら否定しにかかる左系が、いらん干渉をしてくるし*1とにかく作品に没頭できる環境がなかなか整わなかったのである。
そんなこともあってか、幻文読書人は、横のつながりをあんまり重視しない。ただ黙々と独りで読んでいくだけだった。私もそうだったし。
だから自分でそういう啓蒙的なことをしてみよう、なんて気はまったく起こらないし、他人に期待もしないけど、SFやときどきあるファンタジー関係なんかでこういうのを見ると、無性に羨ましくなっちゃうときがあるのだ。・・・年かなぁ。(^_^;

*1:とは言ってもも、70年代、80年代に比べるとその手の妨害はかなり少なくなった。ソ連と東独が崩壊するまで、社会リアリズム以外は一切認めない、っていう偏狭な文学者、語学者は今よりかなり多くいたのである。特に関西の国立諸大学はその手の丸楠屋さんの巣窟だった。