火星の月の下で

日記がわり。

友人の死

なにげなくWikiで友人のラノベ作家の項目を見ていたら、昨年、亡くなっていたらしい。えらくショックだ。
友人、というよりもほとんど幼馴染、と言ってよく、中学1年のときに、同じ公立中学の同じクラスになり、本名だと出席順がすごく近かったこともあって、すぐに仲良くなった。
当時、お互いに永井豪横山光輝なんかが好きで、『伊賀影』やら『キッカイくん』やら『ガクエン退屈男』やらの話題で昼食休憩なんかをつぶしていたりしたものだった。
こちらはマンガの投稿を始める直前くらいの頃で、いろいろと描いたものを見てもらってた。
当時の私は怪奇マンガを希望していたけど、どうもそういうタッチではない、むしろ少女マンガむきなんじゃないか、なんてアドバイスももらった。
当時、怪奇雑誌でマンガを扱っているところが少なかったこともあって、彼の助言に従って、少女誌に投稿を始めた。それは2年になってからだったが。
彼は、東京の人間で、たぶん親御さんの仕事の関係だったろうと思うが、中学の時期だけ関西の公立中学に来ていた。
今はもうなくなってしまった彼のHPでも、東京出身で、東京の大学を出たのに、なぜか高校や小学校のことについてはふれず、大学と中学だけ卒業校が記載されていて、見ているこちらも少し嬉しかったことを思い出す。
その後、お互い、高校、大学に進み、私が少女雑誌に作品を掲載しているのを見て、手紙をくれたりもした。
当時の彼は、まだ創作者の側に立つ考えまではもっていなかったようだけど、彼の物語に対する情熱、興味はそうとうに深く、豊かだった。
とはいえ彼も大学では漫研、SF研なんかに所属していて、初期、一桁台のコミケなんかで顔をあわすと、いろいろ話しこんだり、批評のまねごとみたいなこともしていた。
私自身は、既に、マンガを商業誌で書くことに限界を感じていた時期だったけれど、彼の物語に対する意欲にしばしば圧倒されることがあった。
「キミもプロになればいいのに」とは何度か思ったし、たぶん口にしてもいたと思うが、彼は作家の道は歩まず、穏便な就職先を選んだようだった。
そして、彼もまた創作者の側に来ていることを知ったのは、それから数年後。
もちろん本名ではなく、筆名だったけど、それは彼が学生時代から使っていたものだったので、すぐにわかった。
その後、単行本の後ろに写真が載ることもあったので、彼だと確信。
ただそのジャンルが、私の興味領域とはかなり離れていたこともあって、そこから先は、年賀状の往復と、たまの挨拶、くらいになってしまっていた。
しかし、彼の出す本はそのジャンル界隈でも評判が良かったのだろう、かなりの数を出版し、今でも、たとえばブックオフなんかではよく見うけられる。
ここ数年、連絡はしてなかったけど、まさか亡くなっていたとは・・・、そしてそれをこんなに時が経つまで知らなかったとは・・・。いろんな意味で衝撃だった。
50代だろ、早すぎるよ。(涙)
なぜもっと頻繁に連絡をとらなかったのだろうか。
現役作家ゆえの忙しさはあったろうけど、もっとあって語り合っておきたかった、もっといろんなことを話したかった。
ジャンルが違う、ということで疎遠になってしまったのが悔やまれる。そんなことどうでもよかったじゃないか。
放課後の中学校で、出席番号が近かったので、同じ班になったものの、お互いあんまりまじめに掃除はせず、すぐに『ウルトラセブン』や『キッカイくん』の話題になり、「オレならもっといかれたキャラを出してみせる」「もっとヘンテコなストーリィにしてみせる」なんて、青臭いことを息巻いていた頃が思い出される。
疎遠にはなっていたけど、書店で彼の新刊を見ると、勇気がわいてきたのもまた事実だった。せめてそういったことだけでも、ありがとう、でいいから言っておきたかった。
いまはただ、悲しみだけが胸に渦巻いている。
彼の筆名は書かないでおく。彼との思い出は、私の胸の中にしまっておきたいから。