火星の月の下で

日記がわり。

アルニム(二)メリュック・マリア・ブランヴィル

今泉文子編『ドイツ幻想小説傑作集』の簡単な感想を残しておく。といっても、購入して読んでからだいぶ経つんだけど。(^_^;
収録作品は以下の5作。
・金髪のエックベルト(ティーク)
・アーダルベルトの寓話(シャミッソー)
・アラビアの女予言者 メリュック・マリア・ブランヴィル(アルニム)
・大理石像(アイヒェンドルフ)
・ファルンの鉱山(E.Th.A.ホフマン)
この中で『アーダルベルトの寓話』と『メリュック・マリア・ブランヴィル』は本邦初訳だと思う。
まず、既にいくつか翻訳のある有名な3作について。
・金髪のエックベルト。
ドイツ浪漫派メルヒェンの代表的傑作。
中に隠された近親相姦や魔女のテーマ、幻想と狂気等、モティーフについて書いていくだけでそうとうな文章になってしまいそうな、漆黒の芸術メルヒェンの代表作。
個人的には『ルーネンベルク』の方が好きなんだけど、幻想メルヒェンを愛するものなら、本作を暗誦できるくらい、熟読する価値のある名作。翻訳は戦前からいくつもでていたと思う。
・大理石像。
アイヒェンドルフはホフマンを嫌っていたそうだが、かなり影響は感じられる。なおこの編、作者の年齢順ではないところがミソで、ホフマンが1776年生まれ、アイヒェンドルフが1788年生まれなんで、12歳年下である。
私が学生だった頃、彼の代表作は『のらくら者の生活から』だったんだが、これが全然面白くない。(笑)
ところが本作とか『秋の惑わし』なんかを読んでみると、幻想小説家としては、かなり一流なんだ、と思うようになった。
この人も、好みから言うと『秋の惑わし』の方が好きなんだけど、こっちを取り上げてくれてもなんら不満はない。
・ファルンの鉱山。
本作の初訳はかなり遅れてて、たしか1975年のユリイカのホフマン特集で訳されたのが最初ではなかったかと思う。
それ以前に、レクラムで、そして全集版で読んでいたので、ユリイカの「初訳」の文字にかなり首をかしげた記憶がある。このときの訳者は、種村氏。
これほどの名作が、戦後かなり経つまで翻訳に恵まれなかった、というあたりに、本邦幻想文学の貧しさが伺えて、当時、少しなさけなくなったりもしたのだが、今では複数の訳で読めるようになっている。
今泉氏の訳は日本語として読みやすく、良い仕事をしてくれたと思う。
さて、調べたわけではないので、ひょっとしたら違うのかもしれないが、たぶん、初訳の2作。
まず『アーダルベルトの寓話』から。
ティークやホフマンが好んだ運命童話ではなく、観念童話に近いメルヒェンで、十数頁ということもあり、一息に読める。
シャミッソーというと、基本的に詩人の人で、散文としては、ほとんどあのドッペルゲンガー・テーマ不朽の名作『ペーター・シュレミールの不思議な話(邦訳題名:影を失くした男)』ただ一作だけ、という感じなんだが、本作は作家活動の初期に書かれた、かなり若書きの作品。とはいえ、ちゃんと完結している作品ではある。
・メリュック・マリア・ブランヴィル。
今回、この傑作集を購入したのは、まず本作が読みたかったから。
アルニムの、物語を外から見ているような冷たい目、中盤に現れるメリュックの奇怪な魔法と自動人形、そして転移術、という『エジプトのイザベラ』や『王冠守護者』に見られるテーマがちりばめられていて、なかなか面白い掌編になっていた。期待にたがわぬデキで大いに満足したところ。
以前にも少し書いたが、アルニムの邦訳作品としては、名作『エジプトのイザペラ』、『狂気の傷兵、ラトノオ砦にあり』の2作と、民謡集『少年の魔法の角笛』だけだったはずで、数少ない幻想長編小説の傑作『王冠守護者』や『ドロレス伯爵夫人の貧、富、罪、購い』なんかがまだ邦訳されていない現状を考えると、決してその文学的価値に見合った扱いを、この国では受けているとは言いがたい作家さんだった。
次に翻訳がなされるとしたら、中編の『世襲相続人』あたりかなぁ、と思っていたので、この『メリュック・マリア・ブランヴィル』だったのには、ちょっと驚いた。
しかし、一読後、これをもってきた今泉氏の慧眼にいまさらながら脱帽、といったところ。
中ほどの肝である、心臓の抜き取り、という魔術的展開もさることながら、ラストにおいて、メリュックと恋仲になりかけていたサントレ伯爵の、妻にした別の女性が産む子供に、メリュックの面影が宿る、という不気味な描写は、『王冠守護者』で魔術医師ファウストによってなされる移血術で、ベルトルドとアントーンの間に起こるリンケージを連想させてくれて、なかなか興味深い。
『王冠守護者』ほどには、その魔術の詳細が語られていないので、いかにも突飛な現れ方をするが、それだけ返って不気味さがあり、これはこれで面白いと思う。
また、巻末の解説で今泉氏も指摘されているが『エジプトのイザベラ』との共通項も強く感じる。
『イザベラ』ではジプシーというキータームがあるのだが、これは今日のロマをさしているというより、太古の幻想種族、古代エジプトの血脈を引く一群、というニュアンスなのだから、中近東の女によってもたらされる、幻覚、魔術の魅力の共通性に想いがいく。
残念なことに、メリュックとイザベラを比較すると、魔性の乙女として、イザベラの方が魅力的ではあるのだが。
今日的文学観でアルニムを料理するなら、本作のような、末尾に社会性が付加されているものの方が研究者によっては扱いやすいのかも知れないが、ワタクシなどは、なんといっても、メリュックの魔術、しかもその全貌が語りつくされることなく、現象面だけが提示されている、アルニムの乾いた表現スタイルの方にひかれてしまう。
今後、アルニムの作品が本邦でも受容されていくことを期待してやまない。
『ハレとイェルサレム』という、一風変わった宗教劇もあった。
あれなんかは読んだだけで上演されているのは見たことないんだが、死ぬまでに見てみたいもんだなぁ・・・。