火星の月の下で

日記がわり。

詩人アイヒェンドルフ

詩というのは、どこの言語であれ、韻律の問題が常について回るため、少なくとも近代以降のものについては、原詩にあたらねばならない。
それゆえ、本来が詩人の質たる人であっても、他に有名な物語、戯曲、小説、なんかがあると、その言語圏以外ではそちらを代表作にされてしまう、というのは、ある程度仕方ないかなぁ、という気もする。
先日簡単に感想を残しておいた、今泉氏による「ドイツ幻想小説傑作選」に取り上げられたシャミッソーなんか、その最たるもので、その本質は徹底して詩人で、名作『ボンクール城』、シューマンが曲をつけたことで日本でも有名になった『女の愛と生涯』などがよく知られている。小説作品としては、ほとんど『ペーター・シュレミール』1本しか残していない、といってもいいくらいなのだが、このドッペルゲンガーものの初期の名作と言っていい『ペーター・シュレミール』があまりに広く読まれてしまったために、日本では小説家のよう受けとめられていることもあるようだ。
シャミッソーほどその小説が有名ではなかったが、同じく選集に選ばれていた『大理石像』のアイヒェンドルフなんかもその一人といってよく、1968年に白鳳社から出された神保光太郎編による『ドイツ詩集』の中にも5編が選ばれている。
アイヒェンドルフの場合、『予感と現在』という長編小説もあるので、シャミッソーほどには極端に詩寄り、ということもないけど、それでもその本質は詩人。
その詩風は田園と旅情を憧憬で歌う、まさしく「浪漫派最後の騎士」(Der letzte Ritter der Romantik)にふさわしいものであった。
先日書庫に用事があって、書庫でゴソゴソしてたら、戦前、成瀬無極氏が訳出されたアイヒェンドルフの詩がいくつか出てきて、パラパラ拾い読みしていると、旅情とは少し違う、アイヒェンドルフの詩情あふれる別の一面を見せ付けてくれる訳詩があった。
無極氏が亡くなられ半世紀以上が過ぎ、たぶんパブリックドメインになっていると思われるので、旧字体を改めて記載しておく。(部分訳)

亡児を憶う(Auf meines Kindes Tod

遠くから時計の音が聞こえる
もう夜も更けた
ランプは陰気にともり
お前の小さいベッドはつくられている

家をめぐって吹く悲しい
風の声ばかり
私たちはしょんぼりと座って
ときどき外へ耳を澄ます

なんだかお前がそっと
戸を叩くような気がするのだ
お前はただ道に迷って
疲れて今帰ってきたかのように

愚かな愚かな私たちだ!
いつまでも恐ろしい闇路を
迷うのは私たちで・・・
お前はとうに家に帰っているのだ

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憧憬と旅情の詩人アイヒェンドルフの、違う一面を、しかしそれでも同時にしみこむような詩情を見せてくれる佳品と言っていいだろう。
まぁ、この名作にしても原詩で読まないと、というのは当然ついてまわることではあるけど。
また、マーラーが曲をつけた、リュッケルトの『子供の死の歌』(亡き子をしのぶ歌)との比較なども頭に浮かぶ。
ともかく、詩人アイヒェンドルフ、というのは、同時期のシャミッソーや、彼より少し若いミュラーなんかとともに、もっと愛唱する人がでてきてくれたらなぁ、と思う。