火星の月の下で

日記がわり。

◎歌で戦うSFアニメの難しさ

作画はけっこうがんばってるのに、プロットとか演出とかがたいへん残念なことになっている『シンフォギア
いろんな理由があろうとは思うし、これから盛り返して面白くなるかもしれないので、あくまで現時点での一視聴者の感想の域を出ないけど、どうもひっかかる要素の一つとして、「歌」「音楽」が戦いの一要素になっている、という点について、少し。
「歌」あるいは「音楽」を応援歌とかいうのではなく武器として戦う、というのは、効果的に決まると実に見栄えが良いだけでなく、音楽関連も巻き込んで経済効果が見込めるので、SFアニメやメカバトル(ロボットものを含む)メインのものになると、作り手サイドからの食指が伸びるのか、ちょくちょく見るような気がする。
今期作品でも、それをメインに据えているかどうかはともかくとして、『シンフォギア』以外に『ギルティクラウン』なんかにもその要素がある。
「歌」を武器にして戦う、というと、なんといっても初代『マクロス』という画期的作品があって、それ以前、歌がなにがしかバトルなり場面に影響を与える作品はあったけど、それにちゃんと理屈をつけて(あくまで作品内理論として)テーマにまで昇華してしまった、という点でエポックメイキングだったと思う。
それ以後、同工異曲の作品は数多く生産されたけど、他の要素での「当たり」はともかく、ことこの「歌」が戦闘の一要素になる、というテーマに関して成功した、といえる作品はほとんどないのではないか。
今回のこの『シンフォギア』を見ても、いろいろ他にもひっかかる点はあるけど、まずこの「歌がバトルに影響を及ぼす」という点の理屈づけがかなり中途半端で、ノイズという画面効果も手伝って、その場面になると、ギャグシーンみたいになってしまう。
加えて、音に対する技術の進化。
初代『マクロス』の頃にも、既にデジタル音声は登場して未来的な予想はされていたけど、まだ歌はアナログの範囲で、特定の音、歌が、心理に影響を与え、ひいては物理的な効果にもなりうる、という点に、リアリティとまではいかないが説得力があった。
ところが昨今の「武器としての歌」がSF場面として出てくるとき、あきらかにそれが「デジタル音声」に変換されているかのような場面設定(研究所とか司令室とかね)がなされていて、それを見ると「なにも安定して使えない生歌に頼らなくても、デジタル加工してデータストックするなりして使えばすむんじゃね?」・・・と見えてしまうのだ。
一応作品内では、超能力とか、特異体質とか、機器の一部がからだに埋め込まれているとか、いろんな設定は追加されていっても、「歌そのものはデジタル加工で作れるのじゃないか」という疑問を払拭させるには、まだかなり弱いのではないか。もう少し、そこに説得力のある理屈を盛り込んでほしい、というか、考えてほしいのだ。
ギルティクラウン』の方は、その点、主舞台が廃墟に近い都市部であることや、ゲリラ的に出没する組織、といった点で、成功とまではいえないかもしれないが、一応の説得力はかろうじてあるようだ。
もっとも、ギルクラの場合、面白い箇所とそうでない箇所とのギャップが激しいので、歌による戦い、感染の除去といった状況への影響という点があんまり効果的に伝わってはいないけれど。(場面としては面白かったんだけどね、あの一斉に除去されていくところとか)
とまぁ、そんなことを思いつつ、深夜アニメを楽しむ昨今でありました。
要するに、SFをやるときには、設定はもっと練り込んでほしい、ということなのよん。
音楽関係者が思いつきでちょっとやってみました、みたいなのは、正直カンベンしてほしい・・・というのが酷ならば、せめてしっかりしたSF、あるいは理工系のブレーンをつけてほしいんだよなぁ。