火星の月の下で

日記がわり。

○桂三枝、六代目桂文枝を襲名

六代目文枝の襲名自体は既に昨年報じられていたが、その襲名式が行われたらしい。
いろいろと感無量でありますな。
先代の文枝が亡くなられた、というのも未だにピンとこなくて、テレビに出なくなっただけで寄席に行ったら元気にやってるんじゃないか、なんていう勘違いもときどきする。
枝雀さんもそうだったけど、その晩年にあんまり「衰え」や「老い」を感じさせてくれなかったからだ、と思うのだが、やはりこうして六代目の襲名があると、ああ、やっぱり先代の文枝師匠はもういないんだなぁ、と、あらためて思い知らされる
そして桂三枝である。
仁鶴、可朝とともに「大阪若手三羽烏」として登場したときのことなんかを未だにしっかりと覚えている身としては、三枝がもうそんな歳なんだ、という時の経過もこちらの胸ニ刻み込んでくれる。あの頃は皆、やんちゃしてて面白かったよなぁ・・・。
三枝さんと言うと、かなり後付けのところもあるが、関西大学落研で「ろまん亭ちっく」なる名前でやってた頃もぼんやりと覚えているので(かなり後付けで知った側面もあるけど)「文枝」の名を襲名するとは、偉い人になっちゃったんだなぁ、と、これまた感慨無量である。いやめでたいことだし、決して揶揄する意図ではないのだが。
先代の文枝の落語は大好きだった。(もっとも私がよく聞いていたのは「桂小文枝」の時代だったけど)
三枝さんとはかなり肌合いも趣も違うので、いろいろと雑音も入ってくるかも知れないが、三枝さんなりの「桂文枝」をつくっていってほしいものである。
そして、かつての私が「文枝の落語って味があって面白いなぁ」と思ったように、次の世代にもそういった感動を残していってほしいものだ、と思う。