火星の月の下で

日記がわり。

仁鶴師匠、逝く

笑福亭仁鶴氏が亡くなられた。
闘病生活を送っておられたらしいことは間接的に聞き知っていたのだけど、それでも昭和40年代の深夜放送を聞いて受験生活を送っていた身としては、ショックがデカい。
MBSの「ヤングタウン」が三枝、鶴光をメインにしていたのに対して、ABCが「ヤングリクエスト」の中の一コーナーで仁鶴を起用。
当時の関西における両局の対抗関係もあって、面白く楽しかった時代である。

あまりラジオには出なかった月亭可朝、少し下の世代になるけど桂三枝(現・六代目桂文枝)とともに、大阪若手三羽烏、などと言われていた時代、後の伝統的、古典的な落語家とはまったく別の顔だった時代、その時代を目の当たりにしていただけに、喪失感も大きい。
可朝さんが亡くなられたときも、テレビではほとんど見られなかったあの舞台芸、高座敷が永遠に失われてしまった感が強くのしかかってきたけど、仁鶴師匠の逝去もまた一時代の終焉を強く感じさせる事件である。

どうか安らかにお眠りください。