火星の月の下で

日記がわり。

奴隷少女モルジアナ

日曜午後5時からやっているにもかかわらず、ヒロインの出自が奴隷少女という、実に設定がステキな『マギ』という作品。
16日の日曜にやっていたのをようやく今見たところなんだけど、主人公の異父兄でもある悪い王様が、国の借金を返すために国民を奴隷に売っちゃえ!・・・という悪辣非道な展開になったとき、元奴隷だったモルジアナが、目をキュピーンと輝かせて、盗賊団の頭領(といっても名目なんだが)にされてしまっている主人公に、
「助けましょう!」
と、鼻息荒く迫るところまで、というなんかいろいろつっこみどころの多い内容であった。
で、一番ひかれるのは、このヒロインが戦闘民族出身なのに、幼い頃からドSな領主に買われてDVさながらにボコられる人生を送っていた、というこれまたすごい設定というか、お話だったのである。
当然、奴隷少女なんだから、悦痴なことされちゃうよなぁ、と、いろいろ妄想してしまうところで(本編ではそんなことはもちろんありません)、どこかに高くて薄い虹パロはねーのかなぁ、と思ってしまったりするのも、そんなに責められることじゃないよね。(^_^;
そんなことをつらつら考えていたら、悦痴系の虹パロでも、素材として全然燃えないものって確かにあるよな、と考えてしまったのだ。
素材たるヒロインがどんなに魅力的だったり、人気があったとしても「いや、それは違うやろ」と思ってしまうことはけっこうある。
つまり、絵のモデルとしてそのアニメヒロイン(漫画ヒロイン、ラノベヒロインでもいいけど)を使ってるだけ、てのは全然燃えないわけだ。
具体例としては、個人差が大きいのでこのパロでも燃える人は多々いるだろうけど、ワタクシの場合だと、プリキュアとか京アニ系のキャラでやってもらっても、全然食指が動かない。えるたそとか、キュアマーチとか、ものごっつ好きだけどさ。
・・・あ、でもなおの繁殖ネタなら、ちょっと見てみたいかも。(笑)
ちゃんと元々の設定の上にのっかっていないとね、ということなのである。
設定であって、環境ではないのだが、その辺のところがよく理解できていない虹創作者が多いのは、なかなか嘆かわしいことでございますな。・・・えらそーな物言いになってしまってすまぬ。
ともかく、そんなわけで、モルジアナはそれほどキャラクターデザインとして優れているとも思わないけど、その設定と性格付けのすばらしさで、ダメな本を読みたいなぁ、と思ってしまった、ある冬の夜のことでありました。
探したらかなりあるみたいですな。