火星の月の下で

日記がわり。

悦痴な古典劇文学

悦痴、というとちょっとアレだが、艶っぽい描写というのは時とともに忘れてしまうことが多いので、素材として使えそうなものは思いつくままに記録しておこうかな、と思っただけ。
カーリダーサの『シャクンタラー姫』から。

シャクンタラー、登場の場面。シャクンタラー、友にして従者のアナスーヤーとブリワンダーの登場、木の陰でドフシャンタ王(男側主人公)が隠れて見ている。
シャクンタラー「ああ、ブリワンダーのおかげで衣で胸がしめつけられて苦しいわ、アナスーヤー、どうかゆるめてくださいな」
アナスーヤー「はい」
ブリワンダー「私のせいではありません。お乳がそんなにふくらんでしまったのは、ご自分の青春のせいなのですよ」
王(独白)「ほんまやな、若さで美しさがぷりぷりしてるわい。なんちゅーええおなごや」

…王が少し下品になってしまった。(笑)
その後いろいろあって、王と姫は恋に落ちるわけだが、呪いをかけられて王は姫のことを忘れてしまう。
その呪いを解くためには契りを交わした指輪を見せれば良いのだが、姫はその指輪をなくしてしまう。
しかも姫の胎には王の子が宿っており、いわば姫は孕みっ娘になっているのだ。
このあとふとしたことから指輪が見つかって王は姫のことを思い出し、姫と姫が生んだ子ともども迎え入れられて、めでたしめでたし、なのだが、途中のいろんなプロセスを見ていると、1500年以上前に書かれたとは思えない、恋と青春の息吹あふれる、ちょっぴり悦痴な名作であると感じてしまう。
近世以前の作品って、若い男女が恋に落ちるとすぐにこども作ってしまうので、今の感覚だとそのプロセスをもやもや妄想できるのがよろしいですな。
一応フォローしておくと、中世以前だと「子供が生まれる」というのは、性交が結実したと言うよりも、跡取りの誕生として描かれているので、それほどふしだらな感じではないのだが。
古代ローマ喜劇のプラウトゥスなんかにも、こういう恋人が妊娠、出産してしまう、というものがいくつかあって、当時の感覚では世継ぎの問題とかの観点でもとらえられるのだが、今の工□ゲ脳の視点では、種付け等いろいろと違う方向で妄想できるのが楽しいところでありますな。