火星の月の下で

日記がわり。

『ヘンリー六世』と魔女

第三部をパラパラ拾い読みしてたんだけど『ヘンリー六世』っていう劇は、つくづく「魔女(ラ・ピュセル)に始まり魔女(王妃マーガレット)に終わる劇」なんだな、と思わせてくれる。
第二部にも降霊術みたいな場面が出てくるし。
よく書評とか読むと、めまぐるしく変わる英軍と仏軍、ランカスター派とヨーク派の戦闘場面が当時の人々を喜ばせた、とあるが、実際には魔女達の饗宴と没落こそがこの三部作の見所じゃないか、と思えてくる。
末尾に登場して不気味な影を投げかけるグロスター公リチャードのどす黒い心は、魔女の時代が終わり、悪魔男の時代になる、とでも言わんがばかり。
ラ・ピュセルにしろ王妃マーガレットにせよ、その美しさがたたえられているだけに、国への禍が心胆寒からしめるところではあるが、リチャードの場合はその容貌の醜さ、奇形なる体躯がいっそう不気味さを感じさせてくれる。
『リチャード三世』は既にこの第三部から始まっているのだが、筋としてはそうであっても、史劇としてではなく、魔女劇として見た場合悪魔の系譜を追っているような怪異さが心地良くなってくるのだ。
この辺、自国の劇として愛好するイングランド市民と、外国人としてこの劇に酔わせてもらうワタクシとの違いだろうか。
『リチャード三世』も含めて四部作とする、というのも単に連続する歴史だからというのではなく、テエマとしてもひとつながりのように思えてくる。