火星の月の下で

日記がわり。

○賛美とまでは思わないが、そう見る視点が普遍的に存在することは意識するべきだと思う

なんかもう男子オタク界隈では『艦これ』が空前の人気で、猫も杓子も状態なのだが、流行というものはこういうものなのだろう。あ、男子オタクだけでく中年オタクもそうか。
その辺は大昔からあるものなので、そこに仕掛けとか意図がある、なんてのは陰謀論の亜流みたいで正直どうでもいいのだけど「戦争を賛美している」という批判が出てくることに対しては「おまえ作品を読んだないだろ」とか「違うよバカ」とか上から目線でバカにして否定しているとけっこうまずいことになりかねない可能性がある。
そういう批判は、それに携わっている者にとっては見当外れに見えたり、表面しか見ていない、と感じるもので、ついついその不快感からの上から目線での攻撃になってしまうのだろうけど、問題は中身ではなく、そう見えてしまう一定層がいて、その層が社会的に力を持つ可能性がある点に注意がいっていない。
最近の戦争アニメは10代の少女を戦地に行かせるのがトレンドらしい
この意見に対する反論やコメントなんかその典型で、作品を見たかどうかとか、理解しているかどうか、実際に戦争をしているかどうかとかではなく、戦争モティーフと十代の少女が組み合わされていることが問題視されてしまうのだ。
その辺を理解していない人が多すぎる。
戦争もの、とまではいかなくても戦争を素材にした娯楽作品は日本だけでなく世界的に人気がある。
単に娯楽的な内容であれ、明確にプロパガンダが仕込まれている場合であれ、「戦争ごっこ」が好きな男の子は少年期にたいていこれにはまる。成長の過程で卒業したりそんな時期があったことを忘れてしまう人の方が大多数ではあるけど。
海外のアニメ評、感想なんかをつらつら読んでいると、やはりロボットアニメ、それもガンダムみたいに擬似的な戦争が描かれたり、あるいはガンダムではそこまでではなかったけど英雄的主人公とかが描かれたりすると日本以上の熱狂的賛同が得られていたりする、というのはもう何十年も見てきた。(ネットが普及する前でも欧州で留学中に体感した)
戦争素材、あるいは疑似戦争ものはそれだけ人目を集めやすいのである。
大昔の作品なんかはそれなりにその辺神経使ってたりしたもので、『ゼロ戦はやと』なんかはアニメ化にあたり滑稽なくらいにまでおとぎ話化されてしまっていた。
今回の『艦隊これくしょん』は敵の名前については配慮しているものの、艦艇のネーミングをそのまま流用したりしてかなり露骨にやってる感じなので、そういう軋轢が生まれるのではないかと不安。
まぁ杞憂であってくれることを願っているし、PVの吹雪がけっこう可愛いかったのでアニメそのものはかなり期待しているんだけど。(原作の吹雪デザインがひどすぎた、というのもあったけど)