火星の月の下で

日記がわり。

◎現在のオタクは何も生産しない、というたけしの至言

ビートたけし 「今のオタクって何も生み出せないね。オタクであることをステータスにして右へ倣え」
前半部はもう10年くらい前から感じてた。
庵野某が「真にオリジナルなんてものはない」なんて言い出してから、創り手はこの言葉に安住してしまって、ぱくっても問題ないんだ、と勘違いし始めた。
オタクなんて言葉が出始めたとき、そうとうにネガティヴで反社会的、不快感をもって語られていたけど、今は(ないとは言わないが)かなり希薄になってしまった。
このたけしの発言で気に入ったのは、後半部。

オタクも同じだと思ってシンパシー感じてた部分もあったんだけど、今のオタクはコミュニケーションのためにオタクやってるだけなんだな。
しかもそれをステータスに感じてるらしい。まぬけだよな。

ここだな。
「オタク」を自称する若い連中ともネット、リアルともに会ったことが何度もあるが、ここ10年はもうかなりこの傾向で固定されてしまっているような感じである。
その差別化もこめて「ヲタク」という表記にしてるんだけどね。この表記そのものは昔からあったし。
今、かつての新しいものをどんどん生み出していってサブカルを引っ張っていたオタク、そしてたぶん文中でたけしが想像していたオタク、というのは言葉が変わってしまってて、いまだとキモオタがそれに該当するんじゃないか、みたいなことを以前書いたことがある。
しかしキモオタも今では閉鎖的な笑いの方向になっていて、そんなに差もなくなってきてるんだな。
ただのマンガ好き、アニメ好き、ゲーム好きをオタクなんて言うのはどこか間違っているような気もする。