火星の月の下で

日記がわり。

アルニム(一)

(一)とはしたけど、続きを書く構想があってしたわけではなく、好きな作家のことなので、これで記述を終らせるのではなく、また気がむいたら書けたらいいなぁ、という想いをこめた(一)である。
さて、アヒム・フォン・アルニムである。
ホフマンの次に好きな作家、詩人であるが、ハイネは名著『ロマン派』の中で、幻想文学の2人の巨人としてホフマンとアルニムをあげながら、「無数の妖怪を呼び出しながらそれにおびえてしまう」ホフマンと、「呼び出した妖怪、悪魔を支配し、統率する」アルニム、と言ったような表現で2人の個性を描き出していた*1。ローティーンの頃、ホフマンの幻想小説に心ふるわせていた者としては、この評価はちょっとホフマンが馬鹿にされてるような気もしてあんまり好きじゃなかったけど、ある程度読み込んでいくと、おびえるホフマンというものこそ、巷に妖怪を見てしまう芸術家の魂の表現として、けっこう適切に感じるようになってきた。そう、お化けのホフマンは単に妖怪を描き出しただけでなく、その妖怪を見てしまう魂の震えをも描き出していたのだ。
一方のアルニムは、冷酷な物語をかなり淡々と描き出しており、しかもそこに描き出された物語を横でニヤニヤ見つめているような、そういう冷厳さを秘めていた。
後年、新大陸にポーという技巧的な幻想物語の達人が生まれたが、怪異の現象面でいうと、ホフマンの後継に見えなくもなかったが、精神構造や技法はむしろアルニムに近かったと思う。
ところがこのアルニム、ホフマンやポーに比べてすこぶる翻訳点数が少ない。
アマゾンで簡単に検索してみたが、『少年の魔法の角笛』、『エジプトのイザベラ』、『ラトノオ砦の狂気の傷病兵』の3編くらいではなかろうか。しかも、このうち『少年の魔法の角笛』はブレンターノとの共編になるドイツ民謡集である。
アルニムの2大長編、『ドロレス伯爵夫人の貧、富、罪と贖い』『王冠を護る人々』の2作は和訳されたことがあるのだろうか、あるのかもしれないが、寡聞にしてまだ見たことがない。
だが、幸いなことにともにレクラムの文庫にはかなり早い時期からあって『王冠守護者』は高校の頃、そして『ドロレス伯爵夫人』は大学生になったかならぬかの頃に読んだ。
『親和力』との関係を取り沙汰される『ドロレス伯爵夫人』の方は、正直初読時にはそれほど感銘を受けなかったが、『王冠守護者』の方は、随所に現れる魔法医学、歴史の闇に蠢く秘密結社といった味付けがたいそう面白く、十代の感じやすい心には、かなりの感銘を残してくれたことを覚えている。
『王冠を護る人々』・・・原題は「Die Kronenwächter」。Wächterは単複同形だが、複数定冠詞dieがついているので「護る人々」で、これはホーエンシュタウフェン家の王冠を守護し、海中の波璃宮に住み、ハプスブルク家の支配を打倒せんと目論む秘密結社のことでもある。
従って、邦題としては、ちょっとダサい響きにはなるがむしろ『秘密結社・王冠守護者団』とでもしたいところなのだ。
物語は3書に分かれ、ホーエンシュタウフェンの血筋をひく2人の青年、ベルトルドとアントーンが魔法医師ファウストの手によって、血液を交換する移血術の手術を受け、この2人の間にリンケージが生じてくる、というものだ。
すなわち、ベルトルドが初恋の女と結ばれ一子をもうけると、その子供はアントーンの面影を宿し、アントーンが異郷の地をさすらいやがて祖先の墓前で朽ち果てると、ベルトルドもまた仮死状態に陥る。末尾は未完のスケッチで、アントーンが復活し、ベルトルドの妻を殺し、王冠の城が滅び、王冠を守護する人々もまた滅亡する、という内容になる予定であった。
主たる4人以外にも、当時の世界絵巻のごとく、下級兵士、ユダヤ人、ジプシー、狂人、異邦の公、農民、市民等、様々な人物がジグソーパズルのようにからんでくる混沌の夢幻小説である。
後半が未完である点など、あのノヴァーリスの『青い花』を想起させるが、味付けはまったく違う。
青い花』が魂の浄化へと続くメルヒェンの道だとすると、『王冠守護者』は闇の深遠を覗き見るカオスの書である。
まぁ、こんな小説を訳出してもそうそうは売れないだろうから、中編で比較的よくまとまっている『エジプトのイザベラ』の方が出しやすい、っていうのはわかるんだけどね。
貧しかった学生時代ゆえ、とても全集本を買うだけの資力がなかったこともあって、まだまだ読んでいないアルニムの作品がいくつかある。寿命が尽きる前に読んでおきたいのだが、はたしてどうなりますやら・・・。

*1:今、手許に『ロマン派』(邦訳題名は『ドイツ・ロマン派』)がないので、正確な引用ではないけど、たぶんこんな感じだったと思う。