火星の月の下で

日記がわり。

ウィーン演劇

簡単にメモ。
・フランツ・グリルパルツァー(1791-1872)
・『祖先の女』(1817)
かつて岩波文庫では『祖妣』という訳題だったと思うが、原題が「Die Ahnfrau」だからこっちの訳の方がいいだろう。
これ以前に若書きのドラマとして悲劇『ブランカ・フォン・カスティーリエン』という劇を書いているようだけど、これは未読。
しかしまぁ、劇壇的な意味では、これを第1作と考えていいと思う。
内容は父殺し、兄妹相姦、先祖ののろい、といった運命劇スタイルで、実際当時、そういう運命劇として受け止められたことが、グリルパルツァーの自尊心をいたく傷つけたようである。
芸術的な薫香は既にあるものの、幻想劇としても読めるすばらしさである。
・『ザッフォー』(1818)
ご存知古代ギリシアの女流詩人をモティーフにした5幕の悲劇。
三統一(トロワ・ユニテ)の原則を守って作られた、古典主義的技法の戯曲。
本作以降、古典主義作家としてのグリルパルツァーのみちのりが始まる。
内容は、愛と芸術の相克悲劇である。
・三部作『金羊皮』(1819-21)
第1作『友人』第2作『アルゴ探検隊』第3作『メディア』
前作に続き、古代ギリシアに材を求めた秀作。
主人公は、最後のタイトルにもなっている魔女メディア。
恋人として、母として、妻として、そして復讐者としての混在する人格が描かれる。
グリルパルツァー前半生の傑作といえよう。
・『オットカール王の栄光と最後』(1823)
グリルパルツァーとしては珍しく、政治的寓意がかなり前面に出た作品。
プラークの宮廷を舞台に繰り広げられる、皇帝劇の変種、ともとれるかな。
・『主君の忠実な下僕』(1828)
すまん、未読だ。(^_^;
・『海の波、恋の波』(1831)
何をもって代表作とするか、というのはいろいろ意見が分かれるだろうけど、グリルパルツァーの戯曲中、一番人気がある、もしくは一番知られているのは本作ではないだろうか。
19世紀恋愛劇の中で、もっともすぐれたもののひとつだと思う。
題材は古代ギリシアからとられたものだが、古典主義だけでなく、浪漫主義においても継承者たる資格をもつ詩人であることを示してくれていると思う。
ここから、グリルパルツァーの芸術的円熟が始まる。
・『一夢人生』(1834)
スペインの劇詩人カルデロンの『人生一夢』に材を求めたものだが、童話劇と銘打たれ、書かれた浪漫的香気漂う佳作。
東洋を舞台にとり、現実と夢の対比を鮮やかに描き、人生を織り込んでいる。
・喜劇『嘘をつく者に災いあれ』(1838)
グリルパルツァー唯一の喜劇。
一般にドイツ語圏では喜劇の秀作は生まれにくく、レッシングの『ミンナ・フォン・バルンヘルム』(1767)、クライストの『こわれがめ』(1811)、それに本作ぐらいだろうと思う。
だが、本作は、ドイツの苦い喜劇とは違って、プロットに凝ったところがあり、心理描写の面白さなども反映しているのだが、上演時は甚だ不評であったらしく、しかもグリルパルツァーのこの逆説的なギミックがあまり理解されなかったこともあって、作家はひどく不信感の底に沈むことになる。
・『リブッサ』(1848)
プラーク建国譚に基づく5幕の悲劇。
喜劇の不評を受けて、失意の底に沈んだグリルパルツァーは以後、劇壇を離れ、上演されるためではなく、自身の慰めとして筆を執っていった。
・『ハプスブルグ家の兄弟の不和』(1848)
『リブッサ』とともに、グリルパルツァー晩年の演劇手法の完成度の高さを示す一遍。
・『エステル』(1848)
悲劇断片。
・『トレドのユダヤ女』(1851)
晩年の作者によって公表を許された唯一の作品。
ローペ・デ・ヴェガの作品の翻案と言われている。(ローペの方の作品を読んでないので、こういう書き方にしておく)
現行で入手できるかどうか、ちょっと怪しいところもあるけど、一応、大半がレクラム文庫で読めるようである。
読んでないのもあるので、そういうのも墓に入るまでに読んでおきたいが、同時に、感想文も残しておきたいところ。