火星の月の下で

日記がわり。

△作画の実力と鑑賞

最近、たまに目にするのが、アニメ鑑賞で「嫌いなもの:萌えだけのアニメ、声優に依存しているだけのアニメ」という項目を掲げているブログとか日記。
声優については、今回保留して、「萌えだけのアニメは評価しない」といってる連中について。
プロの評論家とか、現場の人間とかではなく、単なる市井の愛好家が「評価する、しない」なんていう態度には少し思うところがあるのだが、今回はそういうことではなく、萌へアニメがなぜこういう風に言われてしまうのか、ということについて、簡単に感想を残しておく。*1
萌えアニメというのは、ひところのディフォルメの効いただけのキャラから、かなりの描写性能をもってきているように思う。
ただ、それにお話としての厚みがなかったり、単なるパロディ、悪ふざけにしか見えない展開が待っているので、「萌えさえあればいいんだろ、みたいな姿勢はがまんできない」という感覚なのかもしれないが、重要なことがひとつ抜け落ちている。
それは作画性能は、物語とはリンクしてなくても存在しうる、ということだ。*2
どうもアニメを見ている連中の中には、アニメではなく、そのストーリィだけを見ているような連中がいるように思えてならない。
たとえ話がクズでも、作画が可愛い女の子で進行させるように見えていても、そこに作画性能が伴っていれば、それはそれで立派なことだと思う。
COMの昔から、どうもマンガ、アニメ作品において、原画というのは、話とか動画に比べて軽く見られているような風潮を感じてしまうのだが、1枚絵の中に秘められたセンスとか、画力とかに対する敬意、あるいは分析なんかが、あんまりできてないように終えるんだよなぁ、こんなこと言ってる人たちって。
加えて、どうもある一定の年齢に達した人たちに多いような気がする。
もう30です、でもアニメ見てます、けど、萌え系なんかは評価しません、とか、40代ですが今でもアニメ週に○○本見てます、でも萌え系なんかは認めない、なんていうヤカラがやたら目に付くんだけどなぁ。。。
50代です、萌え系大好きです、キャラに命が入ってれば、話なんかクソでも歓迎します、大好きです、っていう立場なもんで、30代や40代のケツの青い連中が、萌系はダメだ、なんていうのを見てると、ちょっとムカッと来ることがあるのだよ。(笑)

*1:正確には、どの作品をさして萌えアニメと言っているかがわからないので、ズレてるかもしれないけど。

*2:もちろん、ストーリィと渾然一体となって、いっそう効果を引き上げるような、原画のすばらしさも存在する。が、今回はそれ以外の絵について。