火星の月の下で

日記がわり。

○地方都市としての奈良

税務署まで行った帰りに、近鉄沿線をブラブラ歩いてくる。
奈良の役所関連は奈良公園の近くにあるので、ここから近鉄奈良、JR奈良までの間、観光客が多い。
奈良公園の逆方向には、国立の奈良女子大学、さらにもう少し西には奈良県立大学というのもあるんだが、さすがに観光地が近いこともあってか、大学最寄の駅、という感じはあまりしない。まぁ、通学の時間帯じゃなかったから、というのもあるだろうけど。
散歩しようと思ってたので、春日大社の方にぐるっと出てから、三条通りをツラツラ歩いて西へ。
ここからJR奈良までは観光客も多い。
だが、観光客も確かに多いんだが、寺社仏閣の合間に民家が未整備で現れるあたり、観光行政とかっていうのがまともに機能してないのお、と思ってほほえましくなる。
奈良に来て思ったことに、全国トップランクの観光資源を持ちながら、その活用がちゃんとできていない、典型的な田舎都市だ、というのがある。
方針が中途半端なんで、なさけない思いになることもあるが、現状ではそれほど悲観していない。
大阪ほど観光資源が食い荒らされ、省みられないわけでもなければ、京都ほど銭をむしりとってやろう、根拠のない高慢なプライド*1、みたいな下品な要素が希薄なので、住む分には快適だからだ。(遺跡がでてきたらやっかいなんだろうけど)
JR奈良の踏み切りを西に向かうと、そこからはガラッと地方都市の風景になる。
市長の引責引退へと発展したホテル予定地を左手に見つつ、新大宮へ。
この辺から人気がなくなる、といってもさびれた無人商店街になる、というのではなく、単に住宅地になっているからで、奈良で郊外住宅地として人気がある、というほとんど唯一の地区がこのあたり。
ここからは何も見るものもないので、三条通りを離れて、さらに南側を歩く。とぼとぼと一路、西大寺へ。
ぶっちゃけ東京マジすげぇと思ったことを読んでて、東京の変化には驚かされる。
まだ東京に住んでいた頃、池袋はまだまだ田舎のような顔をしていた。
当時(昭和40年代〜平成の頭くらいまで)でもそこそこの都会だし乗降客数はかなりすごかったけど、今を思うと、ちょっと大きな地方都市の主要ターミナルくらいの感じだった。
それが最近仕事とかプライベートとかで東京に帰ると、池袋の殺人的な人のあふれ返りになかなか慣れない。唖然とすることもある。
新宿は昔からあんなもんだったし(たぶん実数は増えているんだろうけど、感覚としては対応できる範囲)大阪・梅田も似たようなもんだった。
渋谷は・・・どうかなぁ、かなりきちゃなくなった印象かな。渋谷が汚くなっていく、というのは、昭和40年代頃から感じていたが、あふれかえっている人の波が他の繁華街に比べて若年層が多い、ということで、かなり消されているのかもしれない。
従って、一番変化に驚くのは、池袋。吉祥寺や荻窪といったあたりも、武蔵野の風情を残していた頃(駅から田圃が見えた)を覚えている身としては、東京の都市スラム化にはちょっとした戦慄を覚える。
そんなところから、大阪経由でこの奈良に来た身としては、いろいろ不満もあるし、行政なにやってんだ、と思うこともしばしばだけど、今のところ、適度に田舎、適度に地方都市、というのはカラダにあってる。
生駒山系のおかげで、大阪方面の大気汚染がプロックされているのもありがたいしね。
西への散歩は、一時間くらいかけて出た、尼辻(西大寺の南側)で終了、そこから電車に乗って帰ったわけだが、この直前に、以前書いた大食いの「がっつり亭」があるので、ここで空腹を癒せるのもよいね。まぁ、家から遠すぎるので、頻繁には来れない、という欠点もあるが。(^_^;

*1:全国的に見れば古都だが、近畿の中では京都というのは新参のなりあがり、といってもいいくらい歴史の浅い町だからだ。単に平城京や飛鳥と比較して、というだけでなく、摂津、河内、といった阪神文化圏と比べても新参である。