火星の月の下で

日記がわり。

○破瓜に対する感性の違い

先日まとめて買ってきた『キスよりも早く』なんだが、24歳の教諭と16歳の女子高生の秘密結婚を扱っているものの、まだ一線は越えていない、結婚は秘密にしている、と、過去に多くの類例をもつパターン。
しかし人物描写が現在感性の繊細さ、優しさをもっていて、古い感じはほとんど見えない、なかなか心地よい読後感である。
ただしこれは私が男性だから、かもしれない。
Amazonの書評を読むと、

ずっとこんな感じなので、絆深まってもまた逆戻りするし、もうお腹一杯です。
この繰り返しが続くなら、さっさとキスでもして終わって欲しい。

・・・というのがあって、これ、かなり女子っぽいんだよなぁ。
最近の女子って、創作物の中で一線を越えることに昔ほどに、そして男性読者ほどには躊躇いがなくなってきているように感じるからだが。
もちろん、男の側からの、ヒロインの破瓜、ということに対しては自分の身ではない、むしろ商品のような感覚もあってか、自分以外とは絶対に許せん、あるいはたとえそれが主人公としてしまうという場合でも、ビッチよばわりしてしまう、そんな感覚はかなり昔から感じていた。
あんまり傍証にはならんだろうけと、昔『めぞん一刻』で、五代くんと管理人さん*1がいたしちゃったときも、当時の感想系同人なんかでは非難の方が多かったような印象だった。
あれも大半が男性読者だろうと思うけど、女性読者ならそれほど許せんことでもなかったんじゃないか、という気はけっこうする。相手がさえない五代くんではたしてどうか、というのはあるにしても。
「処女」とか「破瓜」とかが持つ迷信、先入観に対して、当事者かその相手か、ということによって感覚が違ってくるのは当然なんで、これをもって男性読者が、女性読者が、とか言ってしまうのはあまり意味がないことには思うんだけど、どうも最近の少女小説を読んでると、わりとサラッとヤっちゃってしまうものが多いような気がする。まぁ、私がそういう傾向のものばっかり拾ってる、という側面はあるにしても。
でも少年小説やラノベも書評ができるほどではないにせよそこそこ読んでる身としては、男性読者むけで、官能小説や大人向け娯楽小説を除いて、破瓜の時期が作品の中に最初から組み込まれている、というのは、ないわけではないが、かなり少ない感覚なのだ。
そしてもう一つ重要なのが「破瓜」のその後。
結ばれておしまい、というのが昔の少女マンガの文法に近かったけど、70年代半ばくらいから、その後を描く作品が増えてきていると感じる。少女小説ではなおのこと。
その点、少年むけでは、してしまったらそれで物語としてはおしまい、そのしてしまう、というのがナニであれ告白による恋の成就であれ。
連載作品なんかでは、人気があるためにその後もどんどん引っ張らされて、結局後から見ると恋の成就は真ん中か前半にある、というケースもあるにはあるだろうけど、最初からプログラムされているものはかなり少ないんじゃなかろうか。
その点少女小説の場合、そういたことは最初から組み込まれているので、少なくともそれが最終目標では終わっていない。
ちょっとまとまりがつかないが、ヒロインが一線を越えてしまう、ということに対して、それがどういう状態で描かれ、そして物語の中に組み込まれているか、というのは、今後、それが目的ではないにしても、もう少し注意をして読んでいきたい、と思ってしまう昨今である。
・・・つうか、もっと作品名をあげんといかんよな、調べるのがメンドイのでやらんけど。(^_^;

*1:未亡人なんで、登場の段階で既に経験者ではあるんだが