火星の月の下で

日記がわり。

○草の根こそパソ通

特にどこかの記事、というのでもなく、懐古記事が出るとわりとよく感じていたことなのでその辺について少し。
(ちなみにワタクシ自身は、民生直後のインターネットに少し関わっていたので、インターネット→パソ通→インターネット、の順ではあったけど)
インターネットがWn95登場直後の96年頃から一般的になってきて、さしてPCだのネットだのに興味も技術もなかった人々にとって親和性の高いものになっていった頃を語る際、その露払い的な位置を占めていた「パソ通」について取り上げられることが多い。
だいたいそういう記事があると懐かしくて読み込んでしまうことが多いのだが、そういった場合、語られるのはだいたいニフティで、あとそれに類する商用ネットにほぼ限られているような気がする。
当時をかなり明確に、しかもけっこう歳くってから体験した身としては草の根こそパソ通だろ、なんで商用ばっかり取り上げるんだ?・・・と思ってしまうことしきりであった。
確かに個々の数字だけ比較するとニフティPC-VANは突出してたけど、あれってROM*1率が異様に高かったし、とりあえず登録だけしとく、という層もかなりいた。
確かに「パソ通」を語るときに大手商用でまとめてしまうと記述が便利、というのはある。
資料が一番良く残っているのが大手商用なので、未経験、もしくは近くに経験者がいない場合、てっとりばやく文章化できるからね。
けどなぁ、パソ通でいちばん熱があったのはいくつかの草の根の方であって、熱狂として、もしくはインターネットの前哨戦として語るのであれば、草の根こそまず第一に取り上げるべきなんじゃないか、という気はいつもしているのだ。
インターネットの前哨戦として草の根を語るのがきわめて有効であるにもかかわらずかなり困難である、というのは理解できる。
大手商用のように、どこか一つを代表させてそれでおっけー、みたいなお手軽なまとめは出来ないし、東京近辺にあるものだけを拾っていけば俯瞰できる、なんてものでもない。
ネットにそういった情報がないわけではなく、かなりの量が転がってるいのだが、それらは大半が個別の草の根なので俯瞰のために拾っていくのはそうとう骨が折れる。
一応、大昔のパソ通の「BBS電話帳」みたいな足がかり資料がマップがわりになるだろう、というのはあるにしても。
でもそれならそれで「私が所属していた○○ネットでは〜」という断り書きを入れて、当時の熱なり雰囲気なりを語ることもできるのではなかろうか。
プロのライター(広義、つまり記事を書いて対価もらってる人)ならば面倒でも一つ一つ拾っていくべきなんじゃないか。
そうじゃなくてわしみたいなアマチュアで、どうしても語りたいときには、自身の経験の範囲と断って書けば良いのではないか。
いずれにせよ大手商用に少しふれただけで、「パソ通を語りました」「これがインターネットの前段階です」なんて態度を見せられると(もちろんこんな態度でないところもあるが)ちょっとカチンときちゃう時もあったりするのだ。
パソ通を語るなら「NET-Cock」の単語くらいは出してほしいものである。
Niftyなんてパソ通のほんの一部にすぎないのだよ。

*1:「Read Only Memeber」つまり読むだけで書き込まない会員の略で、ということを書かなくてはいけない時代なのかもしれない。まぁインターネットでも「ROM」は使われるので、死語ってほどではないけど。