火星の月の下で

日記がわり。

◎表現主義は生まれない

アニメとかドラマにおける「恥をかくシーン」がすごく苦手
感覚はわかるけど、こういうのを言ってるとどんどん表現枠を狭めていって、結局快感装置みたいなものしか残らなくなってしまうんじゃなかろうか。
そして同時に、これはここで例としてあげられている『きんモザ』で出てきたからではないか、というのもある。
たぶん他のシリアス系に出てきたら、こういう場面だけが取り上げられてることもなかっただろう。
快感を刺激するためだけの消費物しか受け取ることができなくなって、それが実際に考えたり、考えさせられたりするのは極力排除していく、そんな心理もあるんだろうな。
かつて「オタクは自己主張する女の子が嫌い」と言われたことがあって、とにかく自分の性的、快感的欲求を無制限に受け入れるものでないと満足できない、みたいな点が着目されていたことがあったけど、それが広く浅く浸透してきた印象かな。
百合アニメに男を出すな、という心理とも親和性があるのかもしれない。
ともかく、こういう精神土壌からは表現主義は生まれそうにないな、と思ってしまった初秋の一夜でありました。
表現主義」も字面から誤解をうけそうなことばだけど、Expressionismusの訳語としての表現主義、なので念のため。
例によって日本語Wikiにはかなりの誤記があるので、あれを信用してはいけません。