火星の月の下で

日記がわり。

○嘘ニュウス考

虚構新聞が語る、表現の自由と不謹慎と面白さ
たしか以前「嘘ニュウスは規制しろ」みたいなことを書いたような気がするが、それはここ『虚構ニュース』さんのことではなくて、もっと悪質な、意図的にデマを流してひっかけよう、というプロパガンダ系の嘘ニュウスのことだったんだけど、この記事を読むとその線引きはけっこう難しいな、と思った。
以前書いたときにはあまりのひどさにいささか感情的に書いてしまったが、本旨としてはここに書かれているような「不謹慎だからよくない」とかの類ではなくて、あきらかな世論誘導を行ってやろう、悪意あるいたずらでひっかけてやろう、という意図が見え見えだったことに対しての怒りであった。
いちいちどことは書かないけど、一応政治系だ、くらいは書いといてもいいかな。
虚構新聞』さんなどははっきりとページ内に「虚構新聞」とあるのでペテンや世論誘導を意図したものではないとわかるけど、それでもある程度慣れたから、というのもあるかも知れない。
慣れてなかったら、上記の悪質なペテンサイトと見分けがつかなくなってしまうわけで、

不謹慎と言う人は決して相手を貶めたいわけではなく、善意というか正義感が動機になっているのも難しいところだと思うのです。
主張は決して間違っていないどころか、まさにその通りとしか言えない正論なので。

と言うのなら同様にして、面白ければ嘘をほんもののように偽装して書いてもいいのか、という話にもなってくるよな。
個人的な感情としては、不謹慎とかっていう以前に、嘘ニュウスはかなり不愉快です。もちろん栗山さんの「不愉快です」とはまったく違う方向で。
なんていうか、嘘と願望のバランスの上でのくすぐりを楽しむ心理、というのが、かなり陰湿で卑しい感覚になる、とでも言えばいいのだろうか。
単純に「もしこうだったらな」という笑いは、友人同士のバカ話の上でなら面白いけど、それを本物そっくりに偽装してしまうと、それはもう軽い冗談ではなくなってくる。
友人同士が友人だからと言って会話の中で肩をついたり軽く頭をたたいたいりするのがスキンシップの一環だとしても、それを不特定多数にやっていいのか、に近い感覚かなぁ・・・、とはいってもこれも個人的な感覚、感情の域は出ないものではあるけど。
加えて検索の上に乗ってくるとき、真実と嘘とが並列に並べられてしまう、という問題もある。
あたりまえの話だが、検索エンジンはその区別をしてくれないし、できない。
これって調べ物をしているとき、とんでもなく「無駄な時間」として浪費されてしまうので、その意味でも気分が良くない。
ということで、嘘ニュウス系にはあまり好感を持っていない、ということを以前の感想に追加しておきたい。