火星の月の下で

日記がわり。

ブルクテリーの魔女

タキトゥスの『ゲルマーニア』を読んでいると、ときどき妙な固有名詞に出くわすことがある。
ブルクテリーの出、と伝えられる占巫の魔女ウェレダなんかもその一つ。
西紀一世紀の後半、四皇帝内乱時代のあとを受けて成立したウェスパスィアヌス帝の時代に、レーヌス河畔に現われたこの占星の巫女はトリアーにおけるローマの敗戦を予言して、一躍ゲルマンの巫女として祭り上げられたと伝えられる。
タキトゥスにとっては同時代かその少し前くらいの出来事だったので、他の著述、たとえば『時代史』などにもその名が現われている。
なんとも作家的な想像力を刺戟してくれる出来事だが『ゲルマーニア』にはその一文に続いて、以下のような記述がある。

しかし彼らはその以前にも、アウリーニア、およびその他、いくたりもの女たちを崇拝したが、これは決して媚びのためでも、また強いて女を女神にしようとするものでもない。(訳:泉井久乃助、岩波文庫版)

タキトゥスの時代、インテリや執政にあずかる人間たちにとってはほとんど常識、あるいは基本情報の内に入っていたと思われるもう一人の巫女の名前、アウリーニア。
その以前と言うからには、西紀一世紀前半か中頃であろうか、その頃にも蛮族を率いて精神的な柱となった魔女的な巫女がいたという。
だが今日、このもう一人の戦巫、アウリーニアについて知られることは、この名前しかない。
Auriniaというのも、語感からしてゲルマン語の本名ではなく、意味をラテン語に置き換えられた可能性も感じる。
タキトゥスは同書の中でゲルマンの神々をラテンの神に置き換えていたからだ。
魔女に対する始原からの畏怖は、ラテン人と大きく異なっていたことだろう。
史書に残された部分を見ても、ローマはその建国の昔から男性的、少年的で、エトルリアとの初期の抗争なども女の奪い合いであった、とも伝えられている。
それに対して北方の森に住む蛮族には、どこか神秘的な幻想を始原の乙女達に抱いていたかのような錯覚に陥らせてくれる。
原初におけるゲルマンの巫女のはたらきやシステムなどは、ラテン人の目を通してしか記録されていないため、極めて実務的、実際的であるが、その伝承の中には本来の幻想性が潜んでいたと思わせてくれることもある。
ゲルマン族ではなかったが、後年ポヘミアの地にプラークという魔術都市を創建したと伝えられる乙女リブッサの伝承など、当のスラブ人たちよりゲルマン人達の間で優れた文学作品が生み出されていったことも、彼らの胸に始原の魔女、原初の巫女に対する共感があったからだろうか、などと想像の翼は広がっていく。