火星の月の下で

日記がわり。

平成の口語文芸

これだけマスが広がってくると、ラノベってもう「口語文芸」とほぼ重なり合うんじゃねーか、という気がしてきた。
明治の頃になされた言文一致、その対としてあった文語。
芸術、アカデミズムとしての高尚な「純文学」さまと、既にそうとうの広がりを見せている皮膚感覚のマンガ小説、ラノベ
いつの時代にも大なり小なりあったことだけど、それ以前の「ありがたくて高尚な」芸術さまが、民衆の本当に求めているものに駆逐されていく、そんな現象に近いものを感じる。
ジャンル論を含めた狭義のラノベではなく、広義のラノベであれば、もうほとんど大衆小説を覆っているのではなかろうか。
ただ現在は出版、文章においても資本主義の波が昔より深く到達しているので、純文学の牙城(と少なくとも世間にはそう思われている)たる芥川賞直木賞においてさえラノベ的なもの、あるいはラノベ畑出身者なんかが受賞していたりするから、明治のときほど明確な二項対立とまではいっていないけれど。
これが文章ということになればまた違ってくるけど、物語文芸ってことになると量的にかなりのところを占めているように思う。
ただ旧世代、つまり私小説なんかをありがたがっている世代はまだ残っているため全世代的に、ということはつまり国民文学的にその傘が広がっているわけではないが、主として日常生活の中で消費している層にはほぼ口語文芸といっていい広がりなんじゃないかなぁ、なんてことをボソボソ思ったので日記につけてみた。