火星の月の下で

日記がわり。

◎現代文学とライトノベル

ラノベはバカの読み物、海外文学や海外の古典読め
いまさら何を言ってるんだ、と少し思ったのだが、どうも昔言われてたことと少しニュアンスが違うな、と感じたので、それについて、簡単な感想。あ、昔っていうのは、70年代から80年代前半かけての、ラノベ黎明期、もしくは前史時代のつもり。
マンガばっかり読まずに名作文学を読め、ジュニア文庫ばっかり読まずに古典を読め・・・こういう声は何世代かおきに起きてくるんだが、少し違うかな、と思ったのが、上のレスにも少し書かれているけど、今はほんとに「ラノベしか読んでいない」という層が、かなり大量に、確実に存在していることなんだよなぁ。。。
また、読書動機についても、
>じゃあ何を読んだらいい?
なんて書いてるのがあるんだけど、どうも冗談ではなく、素で聞いているように感じるのだ。
いや、「読まなくちゃいけないから」とか「ハクつけるため」とかっていうのは、根本的に違うでしょ。
もうどうしても読まずにはいられない、と、まるで蛾が誘蛾灯にひかれるごとくにそれを求めてしまう、それが文学読書なんじゃないかなぁ。。。
だから、そういうのがない人は、無理に読まんでも、というのは少しある。あ、ラノベのことじゃなく、海外文学のことね。*1
昔は、文学読書がメインで、その息抜き、おかずだったのが、いまや主食に、場合によっては専食になってる、という点も少し違うところかなぁ。。。
少し名前が挙がってたけど、最近新訳が出て読みやすくなった『カラマーゾフの兄弟』の名前があがってるけど、これなんか、18までに読んでおく基本図書だと思うんだよなぁ、文学を読むものにとっては。18で理解できるかとか、18で終わってしまっていい、とか言う意味ではなく、読書体験としてね。
以前、受験生の指導なんかしてたときに、時々話題になることがあったんだけど、名前だけ有名な作品、って意外とちゃんと読んでないんだよなぁ、高校生年代までで。
ドン・キホーテ』『リア王』『ファウスト・悲劇第二部』『罪と罰』『白鯨』『武器よさらば』・・・エトセトラ、エトセトラ。
名前は知ってても、読んだことがない、というのは、学力の大小に関わらず、よく聞かされた話で、これは、もう少し上の年代になってもそう変わらなかった。
しかも始末に終えないことに、中途半端に知っている。
ドン・キホーテ』は水車につっこむ話だ(実際は当時の騎士小説・ロマンス小説批判の書)とか、『リア王』は父と娘の孝行の話だ(非常に重要なエドガーとエドマンドの兄弟相克がすっぽりと抜け落ちている)とか、『若きウェルテルの悩み』は失恋して自殺した男の話だ(失恋が語られるのは第1部。第2部でヴェルテルの就職問題が語られ、自殺動機としてはこちらの方が重要)とか、さわりのところだけ知っている、というありさま。
翻訳でもいいから、原典を、抜粋ではなくちゃんと読んでほしい、というのは、常々あったんだけど、ここで語られている、ラノベ以外ももう少し読んでみろ、というのは、そのレベルですらないのかなぁ、という気がしてくるわけだ。古典、というのはこのあたりの読書体験、できればそれも十代のうちに、というのが大切だと思うんだが。
まぁ、既に老境に入らんとしている私のような者にとっては、逆にラノベだの純文学だの古典だの、という区別はあんまり必要なくなってくるんだけどね。
なんか途中で違う方向にいってしまったので、このあたりでいったん置く。
個人的に、読んでおいた方がいいよ、という海外現代文学をいくつか上げてみようか、とも思ったんだけど、ラノベばかりを読んでいる層だとまったく趣味にあわない可能性も強いかなぁ、という気がしてきたので、グダグダ書くのは今回は控えておく。
現代、というのも、どのあたりからとるか、というのにも変わってくるしね。一応わたしは1945年以降、と考えているけど。
ただまぁ、何も挙げない、というのもアレなんで、一応次の3作くらい、あげておく。
蝿の王』(ウィリアム・ゴールディング
『石蹴りあそび』(フリオ・コルタサル
ガラスの動物園』(テネシー・ウィリアムズ
この辺は翻訳も出てるし、ラノベ読みでも読めるかな・・・。

*1:ここではアンガージュマンとしての読書動機、という点については、もちろん大変重要ではあるけど、ラノベとの比較云々という点だと、ややこしくなるので今回は一応見送っておく。