火星の月の下で

日記がわり。

○『君は山口高志を見たか』を読む

たいへん丁寧に取材してあって、時系列をシャッフルしてあるわりには読みやすかったし、好感の持てる好著。
山口高志投手は、同じ球団にいた足立投手とともに大好きだったピッチャーだったので、そういう面でも面白く読めた。
エピソードの中には知ってるものも多かったけど、噂の修正なんかもあって、たとえば「マウンドに指がめりこんで突き指をした」というエピソード。
これは山口投手の現役時代からしばしば耳にしたことだったけど「ストッキングに入ったことはあったけど、指がめりこんだなんてことはない」と、山口投手自身へのインタヴューで解明されていたり、ある程度知っている人にとっても細かなところまでよく目が行き届いた内容になっていたようだ。
余談だけど、このグラウンドに指がめりこんだ、というエピソード、当時の『アストロ球団』にあったやつじゃないのかなぁ・・・。
知らなかった方では、市神港高校時代の恩師・高木氏とのエピソード。
高校時代からその名を知っていたので、当時なんで大阪の大学に進学するんだろ、という思いが少しあった。
昭和40年代の神戸の野球少年にとっては、高校後の進学先は地元の関学か甲南、そうでなかったら東京六大学、みたいなイメージを持っていたので、なんで関大に行くんだろ、と思ってた。
それはこの高木監督の母校だったから、というのがあって(もちろんそれ以外の理由もいろいろあったようだが)さらにその高木監督から強い影響を受けていた、といったあたりは面白かった。
特に、高木監督が市神港のOBではなく県立明石高校(戦前の明石中)のOBで、あの楠本保を目の当たりに見ていたこと、と言ったあたりはたいへん興味深く読んだ。
170cmの低い身長に悩みながら当代随一の速球を投げた山口と、ジャンボ投手だったと伝えられるあの豪腕楠本とはイメージがつながらなかったのだが、この高木監督によって結ばれていたらしい。
体格こそまったく違うが、あの伝説の剛球投手の遺伝子が、高木監督を通して山口に、そして阪急、阪神のコーチを通して藤川に代表される速球投手に伝わっていたとしたら、それはそれですごいことであるな、と思ったのであった。
前にも書いたと思うが、山口投手の市神港が甲子園に出場したとき、私は小学生で、長田区内の病院で虫垂炎(昔は盲腸炎と言った)の手術で入院していた。
それを病院のテレビで観戦していると、看護婦さんが「この投手、長田小の出身やで」と教えてくれた。
私もその看護婦さんも長田小の出身だったのだ。
それ以来、小学校の先輩として「山口高志」という名前は追いかけていたように思う。