火星の月の下で

日記がわり。

◆川上哲治氏、死去

巨人V9川上哲治氏が死去 93歳

巨人監督としてV9を達成した川上哲治氏(日刊スポーツ評論家)が、逝去していたことが30日、明らかになった。93歳だった。

もう既に過去の人ではあったが、衝撃的なニュウス。
間違いなく一時代を築いた人でしたからなあ・・・。

川上氏は熊本工から38年に東京巨人軍に投手として入団し、その後、打者に転向した。赤バットがトレードマークで39年には打率3割3分8厘で、史上最年少の19歳で首位打者を獲得。人間離れした打撃術から「打撃の神様」といわれた。

熊本工時代は投手で決勝まで行き、決勝では後に40勝投手*1になる中京商・野口投手と投げ合い、準優勝。
以前にも少し書いたが、この大会の準決勝で投げ合ったのが滝川中の湯浅投手で、生前父によくこのことを聞かされたものだった。
そんなわけで選手としては、赤バット時代よりも甲子園準優勝投手の方が印象が深かった。
戦後のホームラン量産時代、青バットの大下、物干し竿の藤村とともに戦後の野球復興を支えた功労者の一人。
しかしなんといっても60年代、70年代にプロ野球に親しんでいた者としては、監督・川上のイメージが強烈である。
年度優勝11回こそ鶴岡に次いで2位だが、日本シリーズを全て制している、というのは9連覇同様ものすごい記録で、しかもこの11回のうち、4勝3敗のフルセットまで持って行かれたのが1963年の西鉄との対戦のみで、それ以外は全て6戦までで決着したという短期決戦の鬼でもあった。
短期決戦においては、米田、足立、梶本らの投手陣とスペンサーを要する60年代の阪急、シーズンにおいては村山、江夏の両輪に、田淵、カークランド、藤田らのいた70年代初頭の阪神の方が強い、と感じた時期もあったけど、終わってみればいつも優勝は川上巨人、という感じで、まさに鬼のような強さだった。
別に阪神ファンではなかったが「阪神みたいな球団を優勝させたら子どもの教育に良くない」と言ったり、あるいは湯口事件のときに「こっちこそ迷惑だ」みたいな発言をしたりで、どちらかというと「嫌な巨人」「権力の乱用」と言ったムードがあって嫌いな人物だった。
ともあれ、プロ野球において頂点を極めた人物だったことは間違いないだろう、たとえその手法にどれだけ汚いものが潜んでいたとしても。
また一つの時代の終焉を感じるニュウスでありますな。

*1:現時点でプロ野球で一シーズン40勝を上げたのは、スタルヒン(42勝)、稲尾(42勝)と野口(40勝)の3人だけ。