火星の月の下で

日記がわり。

◎1968年ジャンプ創刊の頃の表紙

「1968年のジャンプの表紙」
(p://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/5225463.html)
時代相がいろいろと見てとれてなかなか面白いものでありますな。
今となっては考えにくい、近鉄の投手が表紙の写真を飾っていたりで、当時の太田幸司人気のすごさをなんとなく伝えてくれる。
ワタクシ的にはジャンプ創刊時の大看板だった、梅本さちお氏の名前がだんだん小さくなってフェードアウトしていくさまがもの悲しい。
当時の編集長の回顧によると、創刊時の看板は間違いなく梅本氏で、連載枠が貝塚ひろし氏の『父の魂』と梅本氏の『くじら大吾』だけだったのだ。
梅本氏はこのジャンプ創刊直前、というか同時期、同じ集英社の少年ブックで『流星球団』という伝奇系野球漫画を描かれてて、かなりの人気だったのだ。
過去に因縁を持つ9人の超人が集まって新球団を作るという『流星球団』のプロットは、その後『アストロ球団』に受け継がれるのだが、ワタクシなどは少年キャラの色香という点で『流星球団』の方が断然好きだった。時代も少しずれるけど。
梅本氏がジャンプからフェードアウトしていくのは、ジャンプの方針が気に入らなかったから、というのが一応定説化しているけど、実際はどうだったのだろう。
『くじら大吾』やその後の『爆発野郎』なんかはぼんやりとしか憶えてないけど『流星球団』のような引きこまれる面白さには届いてなかったし、その後チャンピオンに移ってから描かれてた伝奇系ボウリング漫画『真紅のボウラー』のような熱もあまり感じなかった。
たぶんあまり乗り気じゃなかったのだろう、当時のジャンプがその後天下を取る、なんてのは想定してなかっただろうし。
ともかく、亡くなられてから「梅本さちお」という名前にはいろいろ反応することが多くなってしまった。
世間一般には『アパッチ野球軍』の人、という認識かも知れないが、ワタクシ個人の思い出としては『流星球団』と『真紅のボウラー』がしっかりと脳裏に残っていたりする。